冒頭部分 twitter投稿を少しリライト

 

(ドトールにて)

クソ寒いのに癖でアイスコーヒーを注文してしまった。(現在12月)

にくたいがアイスコーヒーを求めたのだ!

にくたいは、ひとつの大きな理性である!(byニーチェ)

思うに、アイスコーヒーとブレンド(ホット)コーヒーは全く別の飲み物、別の存在である、というにくたいの主張…!

 

お蕎麦やお豆腐、担々麺などもあったかいと冷たいとでは、食感が全く違うので別存在(もの)である(キリっ!)。温度も味の一部説とかなんとか…(twitter内容ここまで)

 

 

 世の中のものは、我々にんげんがふだん何げに思っているよりずっと温度というものに支配されているのかもしれない。

 同じ本質のものが、温度差で全く別のものになってしまうという…意味合いで。。

 

 人間にとっては常温の範囲なのに、一定温度まで下がると動けなくなってしまう動物さえいる。(トカゲとかヘビ、カメなど…)

 爬虫類は、生まれる時の温度でオスかメスかが決まる。(つまり性別さえ温度に支配されていることになる)

 例;ワニは、30℃~33℃の範囲だと半分の確率でオスになり、30℃以下33℃以上だとメスになるそうです。ただし爬虫類によって雌雄を決定する温度の設定条件は異なるとのこと。

 

 熱帯と温帯、ましてや寒帯では、同種でもカラダの大きさが全然違う。

 

 

 日本近代詩の祖、萩原朔太郎が西欧の学者を引いて、人の観念とて頭の中の温度の高低で性質が変化すると。

 高まれば主観的に、低まれば客観的に、という具合。(あくまで仮説ですが)確かに前のめりになれば、(冷静さを失い)主観的になりそうですね。

 

 同じ芸術家でも、人生の時期によって作風が全く変わっていることがあります。

 例えば、ピカソは、鬱っぽく冷たい心映えの青年期では、青い調子の絵だったのが、ある時期から華やかであたたく、音楽的、舞踏的な調子の絵になります。

 黒と白だけの温度を感じさせない絵柄だったルドンという画家は、晩年、(愛する妻を娶り)幸せを見つけたように色彩を帯びた絵を描くようになります。

 

 心があたたかい時と冷えきっている時では、人間性や性格まで変わってくるのでは?(少なくとも反映はされるでしょうね。表現物の現れ方は変わってくる)

 

 一概には言えないのかもしれませんが、南国の人々はそうでない経度の高い地域の人々に比べると、性格がのんびりというか、悪く言えばルーズ、レイジーな気がします。

 

 など、まだたくさん出てきそうですが…このへんで〆にします。

 

 ということで、昨今、地球温暖化問題で騒がれておりますが、地球規模での温度の高まり(もしくは低まり?)によって、地球上での様々なもの(観念や精神も含めたもの)、事象が、当人たちも気づかないうちに機微な性質の変化を受けている…としたら。なんとも落ち着かなくなります。考えすぎかもしれませんが(笑)。いい面悪い面はあるし、人の感じ方もそれぞれでしょうけど。

 

 

 (地球温暖化が人間の文明活動によってどれ程の割合で影響を受けているのかが、正確に科学的に測定されていないので、人間活動がすべて原因という意見には慎重な立場です。まだ結論を出せずにいます)

 

 

 (おわり)