私には師匠が居ました。
「居ました」と書いているのは、破門をされたとかそういう意味ではなく、既に亡くなっているからです。
私が20代の頃、師匠は何かと世話を焼いてくれて、モトクロス、スノーボード、ウェイクボードと、あちこちに遊びに連れて行ってくれました。
私が今この思考を持ってアウトドアスポーツを楽しんでいるのは間違いなく彼の影響です。
師匠は若くして亡くなったのですが、心臓の周りにできる「胸腺癌」という病気で、発見した時には既にステージ4で「持ってあと半年」という状態でした。
最初は抗がん剤や放射線治療を受けたのですが、全く回復しませんでした。
もともと人と違うことばかりをやってきた変わり者だったので、普通にやって医者の言っている通りに半年後に死ぬのなら、人間の回復力を信じて「好きなことをやって病気を治してやる」と、海に山へと休むことなく遊びに行き続けたんですね。
世の中には、余命わずかと宣告をされてから「最後の思い出に」と無理をして家族揃って海外旅行に出かける人が居るといいます。
そんな人が、思いっきり旅行を楽しんで、そして帰ってきた時には病気が治っていた、という例があるそうです。
だから彼も「免疫力が最大になるのは、自分が一番楽しいことをしている時だ」と、まぁ「これでもか!!」ってくらい遊びまくったんですね。
そうしていると、何と驚くべき事に本当に癌が小さくなり始めました。
「この人、とんでもないな」
多くの人に慕われていた凄い人でしたが、間近でこういう出来事を見てしまうと、何が人を惹きつけるのかが分かった気がします。
そうこうしている間に、メキシコに渡っていた昔のバイク仲間とSNSで繋がり、旧友も「ステージ4のガンを克服した」ということが分かりました。
メキシコでは「癌は大風邪を引いたのと同じ」と言われているそうで、旧友の支援を受けて師匠もメキシコで完治を目指すことになりました。
日本を離れる日程も決まり、これから海外での生活も経験して、さらにスケールのデカい人間になるんだろうなと思っていたのですが、彼は海を渡ることはありませんでした。
「大動脈流破裂」
モトクロスで走っている最中にそれが起こり、バイクに乗ったまま彼は亡くなりました。
「胸腺癌」は心臓の周りにできる癌。
放射線治療をした際に、心臓にダメージが残っていたのではないかと考えられています。
医者も、心臓がいきなり弾けて脳への血流がなくなったのだから「痛みは全く感じなかっただろう。それだけが救いだ」と言っていました。
最後の最後まで師匠は大好きなバイクに乗っていた。
奥さんも「あれだけバイクに乗れたんだから満足だっただろう」と言い、仲間達も口を揃えたように同じ事をいいます。
「死ぬ瞬間まで好きなことをやっていた」
誰もが羨ましいと感じるようですが、しかし私は何か違うような気がします。
自分の場合、魚突きを趣味としていますが、もし最後の瞬間を魚突きをしながら死んだと考えると、それは海で事故を起こした事になります。
たとえそれが大動脈流破裂と言う、時限爆弾のタイマーが終わりを告げたような事であっても、残された人達には多大な迷惑をかけてしまいます。
そして、何よりも「師匠は生きようとしていた」
その最後が本望であったとは思えないんですね。
だから自分は、最後の瞬間を迎える時は、
「好きな事をしていたい」
というよりも、
「好きなことをしていた思い出に包まれながら死にたい」
そう思います。
それが布団の上なのか、家族に見守られているのか、まったく分かりません。
しかし、人生で積み重ねて満足できるものというのは、お金とか名誉とか、そういうものではなく「楽しかったことの思い出」なんだなと思いました。
そう思うと、過酷なアウトドアで活動する私達は、海や山では死んではいけませんね。
数ヵ月前、ある魚突き師が大動脈流破裂で亡くなったと聞いて、思ったことでした。