「自由になった…はずなのに」
高校に入学したとき、
ボクは少し期待していた。
「これでやっと自由だ」と。
自宅から一番近い高校。
先生のアドバイス通りに選んだ進学先。
だけど、
同じ中学出身の顔ぶれが半分以上を占めていて、
「全く新しい環境」とは言えなかった。
大きな変化は感じなかったけれど、
「自由を手に入れた」という感覚だけは強かった。
あの、少年院みたいな中学校を卒業したんだから当然だ。
「進学クラス」という肩書き
ボクのクラスは「進学クラス」。
中学の入試成績が良かった人たちが集まっているクラスだった。
だけど、
正直なところ、
「受験校のレベルをかなり下げての進学」
だったから、
自分が進学クラスにいることに特別な感慨はなかった。
「まぁ、当たり前だよな」
どこか冷めた目で見ていた。
でも、その「当たり前」という感覚が、
ボクをどんどん甘やかしていった。
「自由を履き違えた高校生活のスタート」
中学時代の校則は、
まるで刑務所みたいだった。
髪型、制服の着こなし、靴下の長さ…
すべてが細かく決められていた。
その中で3年間過ごしてきたから、
高校で「自由」を手に入れた瞬間、
ボクは完全に浮かれていた。
「もう怒られない」
「縛られない」
「自分の好きにしていい」
その「自由」は、
自分の行動に責任を持つこととイコールだったはずなのに。
それをボクは「好き勝手にしていい」と勘違いした。
「まぁ大丈夫でしょ」
「どうせそこそこの成績は取れるし」
そうやって気楽に構えていた。
「自由」を得たはずなのに、
心の中はどこか空っぽだった。
「バスケから逃げた中学時代、再び…」
そして、部活。
高校では
「どこかに必ず入部しなければならない」
という半強制のルールがあった。
ボクは、結局またバスケ部を選んだ。
「なんで?」
答えは分かっていた。
中学時代、
ボクはバスケ部にいた。
だけど、
できないフリをして、
「ミスしたら怒られる」
「でも目立つと試合に出ないといけないからもっと怖い」
そんな風に思い込んで、
まともにプレイしていなかった。
サボる理由を見つけては逃げていた。
だけど、
高校で再びバスケ部を選んだのは、
どこかで「本当はやれるんじゃないか」と思っていたからだ。
「本気でやってみたら、どうなるんだろう?」
自分の可能性を、
確かめてみたかった。
「本気でやったら…意外といける?」
高校のバスケ部は、
正直なところ「弱小校」だった。
何年も公式戦で勝ったことがない。
周りもそこまで期待していなかった。
「だから、気楽にやれるかな」
そう思っていた。
でも、いざ本気でプレイしてみたら…
「あれ? できる?」
中学時代は、
怖くてプレイが消極的になっていた。
だけど、
高校では怒鳴るような指導もなかったし、
ミスをしても誰も責めなかった。
思うようにプレイしてみると、
自然と体が動いた。
シュートが決まり、
リバウンドが取れて、
ドリブルもスムーズに進む。
「意外とやれるじゃん」
自分でも驚いた。
だけど、
それと同時に、
中学時代に「できないフリ」をしていた自分が
どれだけバカだったかに気づいた。
「勝てないチームを勝てるチームに」
とはいえ、
高校のバスケ部は本当に弱かった。
だから、
ボクが少し調子が良くなったところで
すぐに結果は出なかった。
弱小校で先輩たちは練習をせず、
高校1年生での最初の夏の大会では、
スタメンが全員1年生だった。
でも、かなりいい試合をして、
あと少しで勝てそうというところまでいった。
試合に負け続ける日々。
だけど、「負け癖」にならなかった。
今までよりは積極的にやってみたことで、
「やればできるかもしれない」
という手ごたえを感じていたから。
「できないからやらない」じゃなくて、
「やればできるかもしれない」
そう思えるようになった。
チームメイトとも徐々に息が合ってきて、
最後には公式戦で勝てるようになった。
「自由=好き勝手にしていい」ではなかった
高校で「自由」を手に入れたはずなのに、
最初の頃のボクはその自由を履き違えていた。
「何をしてもいい」
「誰も怒らないから、好きにしていい」
そう思っていた。
だけど、自由には責任が伴う。
「やるべきことをやる」からこそ、
その結果として自由が得られる。
「好き勝手にやること」が自由じゃない。
「自分で考えて、自分で決めること」
こそが自由だった。
「自由の意味を理解したとき、人生が変わった」
バスケを通じて、
「やればできる」
「本気で取り組むことが自分を変える」
ということを知った。
そして、自由とは――
「自分で選んで、自分で結果を受け入れること」
という意味だった。
「自由=責任」
それを知ったとき、
ボクは初めて自分の人生を生き始めた気がする。
「自由は、選択と責任のセット」
「どうせできない」
「自分には無理」
そうやって逃げていた頃にはなかった
手ごたえと充実感が、
今は確かにある。
本当にやりたいことに挑戦して、
失敗しても受け止める。
その覚悟があってこそ、
人は「自由」になれるのかもしれない。
「自由を履き違えた高校生活」
でも、そこで「本当の自由」に気づけたことが、
ボクにとって最大の収穫だった。