中学校生活はあっという間だった。
 

 

 

気がつけば、

高校受験の時期が近づいてきていた。



通学には少し遠いけれど、

ほどほどの高校に入れたらいい。
 

そんな風に、

受験校についてはあまり深く考えていなかった。



そもそも「ここに絶対行きたい!」

という高校があったわけじゃない。
 

自分の将来についても、

まともに考えたことがなかった。



「周りからの目を気にして、

恥ずかしくはない高校ならいいかな」
 

 

 

そのくらいの基準でしか、

受験校を決めようとしていなかった。







そんなとき、

担任の先生に受験校について相談した。



先生は、

自宅から自転車で15分くらいの近所の高校をすすめてきた。


 

 

「レベルが低めの高校でトップは狙いやすいし、なれれば有利だから」

と言われた。



「有利…?」
 

その言葉が引っかかった。



その高校は当初目指していた学校よりも、

レベルは明らかに落ちる。
 

 

 

「そんなに楽な道を選んでいいのか?」
 

 

 

そう思ったけど、

強く反対する理由もなかった。



自分の中に

「こうしたい」

という明確な軸がないから、

他人の意見に簡単に流されてしまう。



母に相談してみた。
 

母は

「先生の言う通りにした方がいい」

と言った。



「先生の言うことを聞いた方が間違いない」という、

保守的な意見だった。



母はきっと、

私のことを思ってアドバイスしてくれたんだろう。


でも、

その言葉にどこか引っかかるものを感じた。



「ボクの意見よりも、先生の言葉を信じるのか…」



でも、

強く反発する気にもなれなかった。
 

結局、

先生のアドバイス通りの高校を受験し、

そのまま入学することにした。



「まぁ、近いからいいか」



そんな風に、

自分を納得させた。



受験する高校が決まってからも、

特に気合が入ることはなかった。
 

 

 

正直、

難易度的に落ちることがないような高校だったから、

受験前日でもテレビゲームをしていた。



「どうせ受かるし」
 

そんな気持ちがあった。



そして、

案の定受験には合格した。



でも、

そこには達成感なんてものはまったくなかった。
 

 

 

「自分で選んだ道」

ではなく、

「選ばされた道」。



先生や母のアドバイスを

受け入れた結果の選択。
 

 

 

でも、

それは「自分が本当に望んだ道」ではなかった。



「自分の軸がないと、

他人の言葉で道が決まってしまう」



その違和感に気づいたのは、

入学してからだった。



このとき初めて、

「自分で決めること」の大切さを知った。



他人のアドバイスは、

確かに時には役に立つ。
 

でも、

最後に決めるのは自分。

たとえ失敗したとしても、

自分で決めた選択なら後悔は少ない。



でもこの時のボクは、

自分の意見がなかった。
 

だから、

周りの言葉に流されてしまった。



「まぁ、近いからいいか」
 

その選択の軽さが、

後から後悔につながった。



この経験から、

ボクは気づいた。

「自分で選ばないと、

結果に納得できない」
 

「どんな結果になっても、

自分の意思で決めたことなら納得できる」

だからこそ、
自分がどうしたいのか
どんな道を進みたいのか

これからは他人の意見に流されるのではなく、

自分の軸で決めたい と思った。



「まぁ、近いから」

で納得するのは、

これで最後にしよう。