ボクが通った中学校は、
まるで少年院のようだった。
とにかく規律が厳しく、
すべての行動が管理され、
個人の自由はほとんどなかった。
その中でも、
特に印象に残っているのが 「合唱」 だった。
この学校では、
朝と帰りに必ず合唱の練習 があった。
「歌は心をひとつにする」
そんな大義名分のもと、
全校生徒が集まり、
決められた歌を歌う。
だが、
「歌う」ことよりも「口を大きく開ける」ことが
最重要視 されていた。
先生たちは、
「口を開けていない生徒」 を見つけるのが
異常に上手かった。
そして、
すぐに指摘される。
「〇〇! 声が小さい! もっと口を開けろ!」
「△△! 何だその歌い方は! もう一度、ひとりでやり直せ!」
全力で口を開けていなければダメ。
そんなルールが、
この学校にはあった。
でも、
ボクは口が小さい。
どれだけ頑張って開けても、
「お前、もっと開けろ!」 と言われる。
どうしようもないのに、
叱られ続ける。
この
「無理なことを強制される苦痛」 は、
何度経験しても慣れることはなかった。
音楽の授業も例外ではなかった。
この合唱に対するこだわりは、
音楽の授業にも反映されていた。
普通の学校なら、
歌が苦手な人がいたとしても、
それほど厳しくはされないだろう。
でも、
この学校では違った。
「声が小さい」
「口が開いていない」
そんな理由で、
みんなの前で一人で歌わされることもあった。
全員の視線が集まる。
目立つのが苦手なボクには、
地獄の時間だった。
歌が下手とか、
声が出ていないとか、
そんなことは関係ない。
とにかく
「学校のルールに従わないこと」
が問題視された。
だから、
「とにかく大きく口を開けて、全力で歌うフリをする」
ことが、
音楽の授業で生き延びる唯一の方法だった。
また、クラスごとの優劣を決める合唱コンクールがあった。
この合唱への異常な執着は、
「歌声コンクール」 というイベントとして形になった。
年に一度、
町の文化ホールを貸し切って、
全校生徒で合唱大会を開催する のだ。
クラスごとに競い合い、
「どのクラスの合唱が一番良かったか」 を決める。
クラスの団結力を高めるため、
教師たちは
「コンクールの成績」
に異常にこだわる。
優勝すれば、
先生たちは大喜びする。
でも、
負ければ……
「もっと気持ちを込めて歌え!」
「お前たちは努力が足りない!」
そうやって、
クラス全員が責められる。
歌は、
本来 「楽しむもの」 だったはずなのに。
この学校では
「競い合うもの」
に変わってしまっていた。
修学旅行でも合唱は強制された。
中学校3年生になると、
修学旅行で東京へ行く。
その 修学旅行の名物 が、
「上野公園前での合唱」だった。
なぜそんなことをするのか?
先生たちはこう言った。
「東京の人たちに、
うちの中学の合唱を届けるんだ!」
だが、
そんなものは ただの自己満足だった。
東京の観光客たちは、
みんな不思議そうな顔でボクたちを見ていた。
「なんでここで合唱してるの?」
「この子たちは何かの団体?」
そんな視線を感じながら、
ボクたちは半ば強制的に歌わされた。
「楽しんで歌う」というより、
「やらされている感」
の方が圧倒的に強かった。
ボクは、
合唱そのものが嫌いだったわけじゃない。
歌うこと自体は、
嫌いではなかった。
でも、
「同じ行動を強制される」 ことが
苦痛で仕方なかった。
「こうしなければならない」
「全員が同じ動きをしなければならない」
その 「画一性」 に、
ボクは息苦しさを感じていた。
この学校は、
とにかく過剰なルールで生徒を縛っていた。
その結果、
「考えることをやめる人間」が増えていく。
「決められたことをやればいい」
「ルール通りに動けば怒られない」
そうやって、
受け身の人間ができあがる。
ただでさえ、
「目立ちたくない」という性格だったボク。
周りの目を気にしすぎる
「受け身の人間」 だったボク。
この中学校で、
ボクはさらに受け身の人間になっていった。
クラスで目立つのは、
嫌だった。
学校のルールに逆らうのも、
嫌だった。
何も考えず、
「言われたことだけをこなす」人間になれば、
楽だった。
そうしてボクは
「クズな受け身人間」 になっていったのだった。