中学校に入学し、

ボクはバスケ部に入った。



野球はもうやる気がなかった。

イップスから抜け出せず、

モチベーションがなかったからだ。

また、中学校にもサッカー部がなかった。

だから、なんとなくバスケ部を選んだ。

当時は「スラムダンク」が流行っていて、その影響もあった。

「バスケ部の厳しさ」

最初の体験入部で、先生にこう言われた。

「お前、一番目立ってたぞ!」

嬉しかった。

まだ、その先生がどれだけ怖い人なのかを知らなかったから。

バスケ部は、中学校の中でも特に厳しい部活だった。

監督は、スラムダンクでいう陵南の田岡監督のような人だった。

練習は、ひたすら走り込み。

シュートを外せば、腕立て50回。

「気合が足りん!」

その怒号が体育館に響き渡る。

最初の頃は、なんとかついていこうとした。

でも、次第に「行きたくない」という気持ちの方が強くなっていった。

月曜だけは部活が休み。

その日だけが、唯一の心の支えだった。

それ以外の日は、毎日が憂鬱だった。

土日祝、長期休みは、朝から夕方まで練習。

休みが、休みじゃない。

そのうち、ボクは「逃げる方法」を探し始めた。

「仮病で逃げる」

朝、布団の中で考える。

「今日はどうやって休もうか?」

喉が痛いと言おうか、頭が痛いと言おうか。

そうやって、自分を正当化できる理由を探していた。

本当は学校に行けた。

でも、学校に行けば、部活がある。

だから、学校そのものを休んだ。

部活がイヤすぎて。

中2の夏休み。

ついに、ボクは「本当に休める理由」を手に入れた。

腰を壊した。

身長が急激に伸び、激しい練習で腰に負担がかかっていた。

レントゲンを撮ると、骨が一つ潰れていた。

でも、ショックよりも、嬉しさの方が勝った。

だって――

「これで、部活を休める!」

先生に怒られずに済む。

苦しい練習から解放される。

心の中で、ガッツポーズをした。

「試合に出たくない理由」

腰が治ってから、少しずつ部活に復帰した。

でも、ボクはずっと控えだった。

センターのポジションだったけど、他のセンターは180cm以上。

ボクは173cmしかなく、ジャンプ力があっても不利だった。

正直、助かった。

試合に出れば、プレイでミスをして先生に怒られる。

それがイヤだった。

だから、あえて「目立たないように」した。

「できないフリ」

バスケの練習は、二人一組でペアを組むことが多かった。

ボクは、わざと「弱い相手」を選んでいた。

全力を出さなくても勝てる相手。

100%の力のうち、10%の力しか出さなくても負けない相手。

そうすれば、「自分はこの程度の選手」と思われる。

「試合に出さなくてもいい選手」と思われる。

目立たない。

試合に出ることもない。

先生に怒られることもない。

こうして、ボクは「できるのにやらない」という選択をしていた。

「逃げグセがついた理由」

こうして、逃げることが当たり前になった。

やりたくないことは、やらなくていい方法を探す。

「本気を出さなければ、失敗することもない」。

そう思い込むことで、ボクは自分を守っていた。

でも、それが「逃げグセ」になってしまったことに、当時のボクは気づいていなかった。