ボクが入学した岐阜の中学校は、
まるで軍隊のようだった。
平成の時代にもかかわらず、
昭和の厳しさをさらに強化したような環境。
今だったら大問題になっていただろう。
校則は異常だった。
男子は全員坊主。
女子は肩までしか髪を伸ばしてはいけない。
男子は毛を指で挟んで、
指から少しでも飛び出したら
「長すぎる!」
と怒られる。
眉毛を整えるだけで、
生徒指導室に呼び出される。
自転車通学はヘルメット必須。
もし被っていなかったら、
先生にボロクソに怒鳴られる。
朝と帰りは「歌の練習」。
全力で口を開けて歌わないと、怒られる。
すべてのルールに従わなければならない。
少しでも逸れたら、
生徒指導室行き。
特に異常だったのが、
全校生徒700人の「静食」だった。
この学校には食堂があった。
給食の時間になると、
全校生徒700人が一斉に食堂に向かう。
給食当番が準備を終えると、
司会の声が響く。
「入場!」
その声とともに、
無言で生徒たちが席に着く。
男子は学ランのホックを
きっちり締めていなければならない。
食堂の壁には、
大きく貼られた一枚の紙。
「静食」
食事中、
一言も喋ってはいけない。
司会が
「合掌! いただきます!」
と号令をかける。
そして、
700人が黙々と食べ始める。
スプーンが皿に当たる音だけが
不自然に響く。
まるで、
無音の機械工場のようだった。
少しでも声を出せば、
先生がすっ飛んでくる。
一人が喋れば、
即指導対象。
今でも、
あの光景は異常だったとしか思えない。
「飴玉の袋」で集会というのも異常だった。
ルール違反は、
徹底的に追及された。
ある日、
校内といっても外だが、
飴玉の袋が落ちていた。
それだけで、
全校集会が開かれた。
700人が体育館に集められ、
先生が言う。
「誰だ!飴を持ち込んだのは!」
当然、
名乗り出る者はいない。
それでも、
先生は詰問を続ける。
「このままだと、全員連帯責任だぞ!」
いや、
そもそも風で校外から飛んできた可能性は?
そんな疑問すら、
発言しても良い空気ではなかった。
こうして、
「ルール違反」
は徹底的に排除される。
そして、
ボクの中にも、
その価値観が染み込んでいった。
「こうあるべき」
「ルールを守らなければならない」
「規則を破るのは悪」
「少しの違反も許されない」
ボクは、
いつの間にか
「こうあるべき」
という価値観に縛られていた。
家庭でも、
母から「こうあるべき」と言われ続けてきた。
そこに、
学校の厳格すぎるルールが加わった。
家庭でも「こうあるべき」
学校でも「こうあるべき」
ボクの価値観は、
がんじがらめになっていった。