岐阜の小学校では、

地域の5つの小学校が集まる「陸上記録会」があった。

100m走、走り幅跳び、走り高跳び、ボール投げ、400mリレー

さまざまな競技で競い合う。







ボクは、

小学校4年生から6年生まで、

毎年「リレー」と「走り幅跳び」の選手として出場していた。

でも、

リレーは特にイヤだった。



同時に走る相手がいる。

 

抜かれたら、

負けたと分かる。

 

負けたら、

責められるかもしれない。

でも、

勝ったら相手に恨まれるかもしれない。



「競争」を意識しすぎてしまう自分には、

100m走やリレーは向いていなかった。







その点、

走り幅跳びは気が楽だった。



ジャンプするのは、

自分ひとり。
 

その瞬間だけは目立つかもしれないけれど、

数秒で終わる。

誰かと同時に競うわけじゃないから、

負けることを怖がらなくていい。

 

パッと見だけでは勝負の結果は分からない。



だから、

走り幅跳びの選手として出ることは、

あまりイヤじゃなかった。







小学校4年生の体育のスポーツテストの走り幅跳びで、

ボクは「4m60cm」という記録を出した。



先生が言った。



「小学校4年生の全国大会の優勝レベルの記録だぞ!」



でも、

正直ピンとこなかった。

ただジャンプしただけなのに、

なぜそんなに驚かれるのか。







結局、陸上競技会の本番では、

4mどころか、「3m80cm」しか跳べなかった。
 

それでも優勝だった。



他の小学校の先生から、

「県大会の優勝者と同じ記録だぞ」

と言ってもらえた。



でも、

心の中ではモヤモヤしていた。



みんなは

「すごい!」と言ってくれる。

でも、

「すごいことをした」という実感がなかった。



なぜなら

努力したわけではなかったから。







走り幅跳びは、

特に練習したことはなかった。

父から受け継いだ遺伝子のせいなのだろう、

生まれつき走ることも跳ぶことも得意だった。

「すごい!」

と言われても、

ボクはただ「やっただけ」。







頑張ったわけじゃないのに、

こんなに褒められるのは、

どこか違和感があった。



「頑張らないとダメ」という価値観が、

ボクの中にはあったからだろう。



小さい頃から、

先生や親に「努力が大事」と言われて続けてきた。

そして、

結果を出しても特に親は褒めてくれることはなかった。

だから、

「努力しないで勝つこと」は、

どこかズルをしているような気がしてしまう。



一方で、

リレーの方は、

相手が強すぎて2位だった。

でも、

勝負を終えたとき、

心のどこかでホッとしている自分がいた。



「これくらい差があれば、

誰も責められない」

「ボクが責められることはない」



そんなことを考えていた。



負けて安堵している時点で、

勝負の土俵にも上がってすらいなかった。







小学校4年生の陸上競技会で、

ボクは「自分が得意なこと」に初めて気付くことができた。

でも、

それを素直に喜ぶことはできなかった。



努力しないと、

価値はないのか?

才能で得た成果は、

喜んではいけないのか?



あの頃のボクは、

その答えを見つけられなかった。