小学校6年生のある日、

掃除の時間。

ボクはいつも通り、

掃除当番の仕事をこなしていた。



すると、

先生がやってきて、

掃除の進み具合を尋ねた。



「はい、大丈夫です!

 もう少しで終わります」



そう答えて、

また掃除を続けようとしたとき、

隣で掃除していた女子がクスクスと笑いながら言った。



「タイラくんって、

二重人格?」



「えっ?」



思わず、

ボクの手が止まる。



「だって、

先生の質問に答えてたとき

別人みたいだったよ!」



そんなことを言われたのは、

初めてだった。

ボクは、

何が違ったのか分からなかった。



「どういうこと?」



「先生の前では、

めっちゃしっかりした優等生っぽかったよ。

いつものタイラくんと全然違う感じ」



その言葉を聞いて、

ハッとした。

たしかに、

先生の前ではハキハキと話していた。

でも、

普段のボクはそんなタイプではない。



自分では普通に対応していたつもりだったのに、

他人から見ると

別人のように見えていたらしい。



「自分のことは、

自分が一番よく知っている」



そう思っていたのに、

その日、それが崩れた。







ボクは、

無意識のうちに

「先生用の人格」

を作っていたのかもしれない。

それに気づいたとき、

少しゾッとした。



自分のことを一番分かっているのは、

自分じゃないのか?

でも、

それならどうして、

他人から

「二重人格」

なんて言われるんだろう?







そして

大人になってから――

ボクはもっと自分のことが分からなくなった。



何がやりたいのか。
 

何を大切にしたいのか。
 

自分が本当はどういう人間なのか。



そんなことすら、

分からなくなった。

 

 

 

 

 

 

そのときに出会ったのが

「コーチング」だった。

コーチングを受けることで、

ボクは自分の「思い込みの世界」に気づいた。



「自分はこういう人間だ」
 

「自分はこれが向いている」
 

「自分はこうすべき」



そんな固定観念の中で、

ボクは生きていた。



でも、

それは「本当の自分」じゃなかった。



思い込みの世界は、

大人になればなるほど強くなる。



小学校6年生のとき、

ボクはすでに

「先生の前では優等生」

という思い込みで生きていた。



もしあのときから

「自分の思い込み」

に気づけていたら?



もしもっと自由に

「本当の自分」

を知ろうとしていたら?



きっと、

もっと早く

「自分の可能性」

を信じられたのかもしれない。



だから、

我が子には教えてあげたい。



人は「思い込みの世界」で生きている。

でも、

その思い込みは、

使い方次第で「良いもの」にもなる。



「自分はできる」


「自分には価値がある」
 

「自分の人生は、自分で決められる」



そういう思い込みを持てるなら、

それは強みになる。

だから、

ただ「思い込みに気づく」ことが大事なんだ。



ボクは、

大人になってからそのことを知った。



でも、

もし小学生のボクが知っていたら――。



人生は、

もっと違っていたかもしれない。