興味深い話を聞きました。


元気だった人が病気などで障害を持ってから障害者の大変さを知ることはよくある話です。


そんな人たちのおしゃべりの場で


「電車の中で杖を持ってふらふらしていても席を譲ってくれない」


と不満を言った人がいました。


そうしたら「私も私も」って同意する人が沢山いました。


「どうしたらいいのかしら?」

という話になり


「障害者マークを見せればいいんじゃない?」


「そのマークを知らない人が多いから

 みんなに知ってもらわなきゃ」


「マークに気がついたら譲ってもらえるし」


「どうやって広く知ってもらおう?」


「健常者意識改革かしら?」


というような話になっていきます。


それはよくある話だと思います。


そうしたらボソリと


「それって結局、印籠を見せればハハーってなってくれるのと同じだね」


そう言う方がいました。


 「障害者でなくてもすごーく疲れていて

  座りたい時あるし


  若くたってちょっと頭痛がするから

  座りたい


  色々座りたい理由があると思うんだ」



障害者マークがあろうとなかろうと


   辛そうな人がいたら声かける


   辛ければ

   ごめんなさい。

   譲ってもらっていいですか?


って言うことができる。


言葉で意思を伝え合える環境

コミュニケーションを大事にする社会を作りましょうということなんですね?


本来はそうありたいです。

それは理想です。


それができれば

誰も悩んではいないのです。


言えないから

マークで訴えているのです。


マークを見ればきっと譲ると思うんです。


でも‥


「印籠を見せれば‥」

という一言で頭が白くなりました。


マークを持つということも

実は‥

障害者と健常者の分断なのかしら?


うーーーん( ̄◇ ̄;)


難しすぎる( ;´Д`)