たまには真面目に考察してみる
今日、家を出る前にしばらくウチの犬抱っこして遊んでたんですが。
車に乗って信号待ちしてる時、歩道を犬の散歩中の歩行者が通りまして・・・・・きっちり私の車の横でその犬が
何かに反応して立ち止まるもんで、飼い主さんも「??」と思いながら犬のリード引いていったりしました。
・・・・・・出掛けに抱っこしたうちの犬の匂いを・・・ほんの少し開けておいた窓から感じ取ったんでしょうかね。
人間の数千倍だか一億倍だかの嗅覚。
母が「あの嗅覚が人間にも欲しいなあ」と言うので、
私は「もし人間の情報処理能力がそのままで犬の嗅覚を持ったら、情報量にパンクしてノイローゼになると思うよ」と答えた。
そこから動物の持つ、特殊能力へと話題がスライドしたわけですが。
人間でも(たまにTVでやってますが)やたら遠くの物を視認できたりする人というのは住んでいる地域によっては今でもいたりしますけどね、おそらく大昔の人間は大なり小なりもっと鋭敏な感覚を持っていたんだろうと思うわけです。
ある意味、人間が「進歩」と信じているものは・・・本来持っていた能力を機械に押し付けて楽をした結果の「退化」ではないのかと思う瞬間があります。
そしてそれを思うとき、「人間は万物の霊長だ」という言葉がとても嘘くさく感じるのです。
他の動物は、人間ほどに細かな言語を持つわけではないのに、十分に意思の疎通は図れる。
逆に人間は、これだけ細かく表現できる言葉を持つのに、心が通じずにトラブルを起こす。あるいはその言葉自体がいさかいを招く。
動物は、「求婚のために」同種で戦うことはあるが、命までは奪わない。「食べるため(=生きるため)」に多種を殺すことはあるが、それは最低限の数だけにとどまる。
人間は、それだけ意思疎通の道具を持っているのに、「歩いていてぶつかった」「むかつくから」程度の理由で同種を殺してしまうことがある。生きるためと称して、同種で延々と殺しあう。それも限度を知らないかのように。
何と言うのか・・・・あらゆる生き物が進化の流れの中で今の姿になったとして・・・・
人間だけが自分の意思でその流れから逸脱してしまった存在というか。環境に対応するのではなく、自分たちに環境を合わせて作り変えてしまった存在。
他の動物がこの先進化していく可能性は否定できない。だが・・・・今の人類が進化して「新しい何か」になっていく事は、
・・・・・あり得るのだろうか。
そんなことを考えていると、たまにウチで犬を飼ってる事・・というか飼っていると「思う」事がおこがましいんじゃないかとふと考える。
結論が出るような問題ではないんだけどもね。