自分の理解力も落ちたと思う。 | 愚痴テレビジョン

自分の理解力も落ちたと思う。

※かなりお堅いので、面倒なヒトはこの記事スルーしてください(笑)


内田樹が大学生の学力低下に鋭いツッコミ
 思想家、エッセイストの内田樹が自身のブログ「内田樹の研究室で」学力低下問題に対して鋭い見解を語ったが、これが賛否両論のアツい議論となっている.......... ≪続きを読む≫





一応記事元のブログも読んでみたんですが・・・・・。大学って義務教育じゃないしねえ。

そこまで頭の悪い学生に迎合する必要があるのかなあ、とちょっと疑問に思いましたよ。勉強したい奴だけが残れるシステムっていいと思うけどねえ。

「○○大学卒です」を名乗りたかったらコンパにうつつを抜かさず真面目にやれよ、と言うか。


多少話が横道に逸れるが、少し前にどこぞの大学で、

「携帯メールの普及でヒトは脳を使わなくなった」という研究をしたとTVで見た。

例えば「買い物に行く」という言葉を耳で聞いて、それをペンで紙に書き取る時と、携帯で入力する時の脳の働きを比較する実験。



番組の先を見るまでもなかったんだけど、手書きという一見大したことがなさそうな動作でも脳はあちこちの部位をフル回転させて

聞いた言葉の理解・書き出す文字の選定・書き始めの位置・筆圧・・・etc・・と実に多くの情報をリンクさせ、結果

白い紙の上に「買い物に行く」という文章が書かれる、という訳である。

翻って携帯やPCでの入力の場合、「かいものにいく」という音を漢字変換するのは機械の方であって、入力者の脳で処理されるべき情報の多くがカットされている→あまり脳を使わずに文章を作ってしまう、という事らしい。


考えてみれば・・・私の子供時代には当然、携帯電話なんぞなく(まあ軍隊にはあったかも知れないが・・)、

学校の宿題も当たり前だが全教科手書きだ。

算数の宿題であっても、答えを書けるだけの国語の能力がなければならない。

それは学年が進んで行っても同じことで、(今となっては時効なのでバラすが・・)高校時代に手伝った、大学の教育学部生だった友人のレポートも

すべて、手書きだった。

今でもそういえば、大事な用件は(もちろん携帯やPCにも入力するが)手書きのメモを残す。

「書いた」という事で簡単に忘れない、という意識が働くから。



そういう意味合いでなら、今の学力低下は起こるべくして起こったものと言ってもいいかも知れない。


しかし・・・・論点が大きくずれるとは思うのだが・・・・この筆者氏、確かに語彙力は高いのだろう。

だが、新聞に掲載する、ブログに掲載するという事は、読者の年齢層を絞れないという事だ。

あまりにも小難しい言葉の羅列では、辞書を引く時間ばかり費やされてしまい、肝心の内容を理解するまでに時間がかかりすぎるだろうと思ってしまう。

もちろん私も「範疇」を「範ちゅう」と書き換えるような程度の低い言い換えは反対だし、自分で辞書を使って調べた(=自力で苦労して覚えた)知識はより血肉となる事も同意しているのだが、


持論として

「真に頭のいい人間は、簡単な言葉を使って難しい事を説明できるが、自分が頭がいいと見せたい人間は、簡単な事でも難しい言葉を乱用して説明している風に見せたがる」

「小さな子供に分かる言葉ででも説明できるという事が一番大事な事」

と常々思っているので、氏の言葉の選び方は・・・学会であったり専門家同士であればそれもいいかも知れないが、一般に説いて聞かせるにはもう少し噛み砕いた言い回しを意識して選ぶべきではと思った。



自分自身を振り返って、子供が小さい頃に「○○って何?」と聞かれて答えようとする時、

子供の語彙力という制限の中でいかに正確に物事を説明できるか、というのは自分自身にとっての新たな学びの時間でもあった。


・・・・・・・って私も随分ややこしい書き方してるか(笑)。なかなかこういう話題を口語文で書けないな(;´Д`A ```