また暗い話で申し訳ないが・・
1つ表面化すると、「ウチも」「ここでも」と一気に噴出する「いじめ」問題。
その中で思うこと。
・「死ぬ前に何故『つらい』と言ってくれないの」
・・・・・・少なくとも何かのサインは出てたと思う。気づかなかったか、気づいててもまさか死ぬとは思わなかった、というのが
ホントの所ではなかろうか。
少なくとも・・・・・・いじめられる子の多くは「誰にも言えない」と考えていると思う。
「心配かけるから」という優しさ(まあある意味間違った優しさでもあるが)からくるものや、
「話したらこの先何されるか分からない」という加害者側の容赦ない追い込みに八方塞がりになっているもの。
・「いじめられる側にも問題がある」
確かに社会にいる人間にはそれぞれ違いがあり、同じ鋳型で作られたわけではない以上、色んな面での優劣や強弱などはある。
それは生きている以上避けられないことだが、
「いじめられる原因がある」ことを虐めの免罪符にしてはいけない。
原因が被害者にあっても、実際に危害を加えた(言葉の暴力や無視も含む)側に「責任」があるのは間違いないことなのだ。
ましてやいじめの原因はそれこそ個々のケースで違うのだが、
身体的・精神的にハンディキャップがあるからと虐めるようなケースでも「いじめられる側に原因がある」といえるのか?
・「いじめられたら戦え」
・・・・・・・これは中高年に多い意見かも知れない。自分の子供時代の体験などからの発言も多かろう。
確かに昔はいじめられた側が「やめてくれ」と戦っていくうちに、周囲が「そんなみっともない事、もうやめようよ」と加害者側をたしなめたり学校が介入したりしたのは事実だ(私にも経験がある)。
しかし・・・・・今はいじめの標的になった子の抵抗をとことんまで無力化するような陰湿さが横行している。
一連の報道のように、学校に訴えても適切な対応をとってくれているとは言いがたい。
携帯電話のおかげで、家に帰っても通話やメールで虐めが続き、カメラ機能で虐めている時の画像をおさめて口封じ。
「戦え」という大人は、その具体的な方法を当のいじめられている子にマンツーマンで伝授してやってはどうか?
ただ「死ぬな」と言うだけでなく、「こういう方法もある、だから死んじゃいけない」と。
今のガキは限度なんか知らないからなあ。
もちろん私も自殺は反対だし、そこまでの決意があるなら全てを明らかにすることもできるのでは、とも思う。
しかしその前に、「いじめ」という曖昧な表現をやめるべきではないのか。
日常的に・反復して行われる精神的な嫌がらせ。見えない所での暴力。
刑法で使われている表現に切り替えるべきだと思う。
・・・・・これは「いじめ」に限った話ではなく、「援助交際」や「プチ家出」のような、
罪悪感を薄れさせる表現全体についてそう思うのだが。
思ってる事を一気に書いたもんで、まとまりがない文章だと思います。読みづらいと思いますが・・・・・・ご容赦ください。