ゆとり教育
「ゆとり」
=物事に余裕があって窮屈でないこと。余裕。
「―のある部屋」「―のある生活」「時間に―をもたせる」
(大辞林国語辞典より)
一応書く前に辞書で引いてみました(笑)。そういうのだって一種の「勉強」です。
さて日本のいわゆる「ゆとり教育」。ナニを根本的にはき違えているか。
まず「誰の何にゆとりをもたせるのか」ですね。
本当なら「子供に一方的に詰め込むだけでなく、自分で考えるための時間を与える」ような教育方針というのではなかったんでしょうか。
気が付けば、「先生に余暇を与える」ゆとりと言うよりは「ゆるゆる」です。
考えてみたら私が子供の頃の授業方針は「分からない事はまず自分で調べろ」だったような気がします。教科問わず。
自分で辞書引いたりしていけば、それ自体が「読む」勉強でもあったし、なにより自分が苦労したぶん忘れない(・・・かも知れない)。
とにかくこと「国語」に関しては、「自分で読み書き」しなけりゃ身につかない。PCの変換ではろくに覚えないのだ。
(これは断言。漢字検定でどんだけ苦労したか・・泣)
・・・・ってか、漢検も上の方になるともはやPCでも変換できないけど(笑)。
ま、こういう↑時間を与えてない教育現場ってのがどっかおかしいんですが。
現役の先生に聞いた話ですが、教育委員会とか日教組とかの「上部のややこしい組織」が「授業内容の『進行度(習熟度ではない)』を揃えるように」とか言ってくるらしいです。
日の丸とか君が代とか、そんな事で揉めてる場合じゃないでしょっての。
今は先生も鋳型で作ったような感じですね。みーんな似たり寄ったり。
中学の頃の先生には今では考えられないような「個性的」な人が多かったですけどね。
私と私の父は同じ中学を出ているんですが、父の時代にはさらに「個性的」な先生が多かったそうで、当時の私はすごく羨ましかったんですが。
・・・学校に七輪持ち込んでサンマ焼いてたとか(笑)。
また、昔は(今も友人に1人いますが)「お坊さん兼教師」という人が多かったんで、案外自然に道徳教育がなされていたのかも。
教える能力だけでいいのなら、もう先生の代わりにASIMOか先行者でどうですか?
お受験、お受験言ってる親も大問題です。もし面接だけでなく、親も一緒に試験も受けるようになったら果して何割合格できるでしょうね(・・何割かいれば上出来?)。
「自分がなりたかったけれどなれなかった」将来像を子供に押しつけるのはいい加減やめたらどうですかね。
「蛙の子は蛙」。そうそう簡単にトンビから鷹は生まれませんよ。
政治家の2世、3世見てりゃよーーーく分かるじゃないですか。
=物事に余裕があって窮屈でないこと。余裕。
「―のある部屋」「―のある生活」「時間に―をもたせる」
(大辞林国語辞典より)
一応書く前に辞書で引いてみました(笑)。そういうのだって一種の「勉強」です。
さて日本のいわゆる「ゆとり教育」。ナニを根本的にはき違えているか。
まず「誰の何にゆとりをもたせるのか」ですね。
本当なら「子供に一方的に詰め込むだけでなく、自分で考えるための時間を与える」ような教育方針というのではなかったんでしょうか。
気が付けば、「先生に余暇を与える」ゆとりと言うよりは「ゆるゆる」です。
考えてみたら私が子供の頃の授業方針は「分からない事はまず自分で調べろ」だったような気がします。教科問わず。
自分で辞書引いたりしていけば、それ自体が「読む」勉強でもあったし、なにより自分が苦労したぶん忘れない(・・・かも知れない)。
とにかくこと「国語」に関しては、「自分で読み書き」しなけりゃ身につかない。PCの変換ではろくに覚えないのだ。
(これは断言。漢字検定でどんだけ苦労したか・・泣)
・・・・ってか、漢検も上の方になるともはやPCでも変換できないけど(笑)。
ま、こういう↑時間を与えてない教育現場ってのがどっかおかしいんですが。
現役の先生に聞いた話ですが、教育委員会とか日教組とかの「上部のややこしい組織」が「授業内容の『進行度(習熟度ではない)』を揃えるように」とか言ってくるらしいです。
日の丸とか君が代とか、そんな事で揉めてる場合じゃないでしょっての。
今は先生も鋳型で作ったような感じですね。みーんな似たり寄ったり。
中学の頃の先生には今では考えられないような「個性的」な人が多かったですけどね。
私と私の父は同じ中学を出ているんですが、父の時代にはさらに「個性的」な先生が多かったそうで、当時の私はすごく羨ましかったんですが。
・・・学校に七輪持ち込んでサンマ焼いてたとか(笑)。
また、昔は(今も友人に1人いますが)「お坊さん兼教師」という人が多かったんで、案外自然に道徳教育がなされていたのかも。
教える能力だけでいいのなら、もう先生の代わりにASIMOか先行者でどうですか?
お受験、お受験言ってる親も大問題です。もし面接だけでなく、親も一緒に試験も受けるようになったら果して何割合格できるでしょうね(・・何割かいれば上出来?)。
「自分がなりたかったけれどなれなかった」将来像を子供に押しつけるのはいい加減やめたらどうですかね。
「蛙の子は蛙」。そうそう簡単にトンビから鷹は生まれませんよ。
政治家の2世、3世見てりゃよーーーく分かるじゃないですか。