2019/9/8(日)晴れ
先週日曜日、雨天の為中止となった順延ツーリングです。
今回は途中参加・途中離脱させていただきました!
集合場所の次の休憩ポイント(レイクプラザやさか)で落ち合うことに。 ※実はダムカードを頂く為デ~ス!![]()
気温も湿度も高くツーリングには不適な環境でした![]()
走っている最中も汗が止まりません・・・
でも周りの景色が嫌な気持ちをかき消してくれますネ![]()
道の駅 むいかいち温泉で休憩、水分補給を怠ってはいけません!
津和野町に到着で~す!
太鼓谷稲成神社で??祈願??
この後はバイクを駐輪場へ置き昼食で~す!!
お食事処みのや さんで冷やしやまかけうどん定食を頂きました![]()
腹ごしらえしたし。 津和野の町を散策!
食事中、SLの音がしたものですから津和野駅方面へ歩くと、
客車は駅ホームに止まっていましたが・・・
肝心のSLが見えません![]()
駅北側に転車台があり、そこでSLを回転させ水?石炭?の補給を行っていましたね。
そして駅前には蒸気機関車「デゴイチ」が鎮座。
本町通り
殿町通り
カトリック津和野教会
散策を終え帰路に。
道の駅ピュアラインにしきで離脱
私的な目的地へ向かいます。
平瀬ダム(建設中)のダム湖に沈む橋を一目見ようと思っていました。※画像のほぼ中央。
拡大するとアーチ状の赤い鉄橋が見えます。※木谷原橋です!
何とかして近くまで行こうと試みましたが、ダム建設で通行止めでした![]()
この橋の右側がトンネルですが反対側の入口にはバリケードで入れません!
橋に関しての記事がありましたので拝借しました。良かったら閲覧くださいネ!
南桑橋から,さらに上流へさかのぼること20分余りの山間に建設中の「平瀬ダム」は,かつて錦帯橋を流失させた昭和25年のキジア台風や,南桑橋一帯を浸水させた台風による氾濫被害を軽減するため,洪水調整などを目的としたダムであり,令和5年度に事業完成の予定である。 このダムの上流に点在した木谷集落は,その昔,壇ノ浦の戦いに敗れた平家の残党が身を隠した地とも言われ,林業を主体に発展してきたが,昭和26年のルース台風でも大きな被害を受け,この地区に架かっていた木谷原橋も流失し,昭和27年に現在の橋に架け替わるのである。 この橋は,かつて1900年前後にかけて九州鉄道(現JR九州)建設の際にドイツから輸入したハーコート社製のボウストリングトラス橋であり,架設が容易な組立式であることから当時は国内で数十橋が架けられたが,鉄道の高規格化により姿を消すと,その後は各地の道路橋などに転用されるものもあったものの,同型の100フィートタイプで現存するものは国内で3橋とも言われる貴重な存在である。 その後の木谷集落は,昭和38年のいわゆる「三八豪雪」による被害を引き金に,集落の集団移転を余儀なくされ,さらにダム建設により集落の多くの土地が水没地となるなど,目まぐるしい変化に翻弄されることとなり,いまや木谷原橋の運命も風前の灯となっている。 専門家の間では,この貴重な橋を移転・保存できないかとの意見がある一方,先祖伝来の土地を失った住民の中には,橋だけが保存されることへの違和感を持つ人もおり,橋の運命は結論が出ていない。 かつて,この地を終の棲家に選んだ平家の残党は,「ウオホウ」と呼ばれる歌を歌っていたとされ,異国語のような意味不明の歌詞ながら人の心を打つような不思議な音律だったとされる。 集団移転で忘れ去られるこの地の記憶を,なんとか後世に残したいと奔走し「木谷雑記」編纂に携わった元住民も,ウオホウを伝承できなかったことを後悔しているように,水没する地の貴重な橋やその風景が,もし住民の心の拠り所であったとするならば,今度こそ何とか保存することはできないものだろうか。 江戸時代から続く錦帯橋を,郷土の誇りとして未来へと残そうと協調する山口県民のアイデンティティへ,今こそ問いかけてみたいと思うわけである。
※現在は渡ることができず,二度と見ることができなくなるかも知れない木谷原橋を,せめて記憶に残したいと願い,4枚目以降は,現時点でも公開中のストリートビューからキャプチャした画像を転載させていただきます。悪しからずご了承ください。
























