Amazonでサマーセールをやっているのをいいことに
イロイロ注文した私。


黒豆茶

DAKARA

エナジードリンク(ダンナ用)




飲料ばっかりじゃないか(笑)

ダンナも私もハンパない汗をかく仕事だったりする時があるので水分は大事です。

そして、
島原の手延べそうめん。 

ふだんは揖保乃糸を食していますが、
昔、仕事で長崎に行ったとき、美味しくてビックリした一品。

ついポチッとしてしまった。

さあ、今日は、
お生姜をすって、あごだしつゆでいただきましょう。

しかし、通販サイトはついついポチッとしてしまう(;´д`)

節約しないと。
今日は、ものすごい天候でしたね。

とはいえ、
私は丁度雨の降らない時間帯に移動していたので、仕事場の中で雷にブルブル震えていただけですが
( ̄▽ ̄;)

帰宅したら、先に帰ってきているダンナが
びっちょびちょのお洋服を洗濯機に入れながら
さめざめと泣いておりました(笑)

びしょ濡れになるわ
電車は遅れるわで
散々な目に遭ったようです。


我が家の夕食。

豆苗の豚肉巻き
納豆
お味噌汁

2人の食卓なので、夏はお味噌汁はフリーズドライで済ませてしまうことも多いです。

茅乃舎さんのフリーズドライのお味噌汁が美味しゅうございました(笑)

ちなみに頂き物です。

我が家は こんな素敵なものを日常で食せるほど裕福ではありません(笑)



しかし……
大学の同期が関東各県に住んでいるので、ラインが凄いことになっていました。
みんな、それほど被害は無かったようで良かったです。

さて、私はこれからまだひと仕事。
本業を持ち帰っているので、PCに張り付きだわ(;´д`)

 

前回のお話はこちら。

 

3回目の出血で、

1回目→左手、左足に軽い麻痺、軽い構音障害

2回目→1回目の障害が少し重くなる

 

そして3回目の出血で、右手、右足の麻痺、構音障害の重篤化。

血管腫自体も大きくなっていて、ゆるゆると出血している状態。

場所が脳幹なので、左右のどちらかに出るわけではないのがとてもやっかいです。

 

担当医のY先生も、MRIの画像を見ながら説明してくださっているのですが、この時世の中はコロナの新しい株が出現して、厳戒状態。

とりあえず、母はSCUで管理を受けながら今後の事を先生と話し合うことになりました。

4/8に入院して、4/22にはSCUから一般病棟へ移りましたが、

「ちょっと今後のことについて話したい」とY先生から電話がありました。

 

4/24に

「点滴で出血は収まっているが、血管腫が大きくなっていて、前回のようにリハビリ病院に行っても、障害がゆっくりと重くなっていくと思う。あとはいつ出血するか分からない状態だから、手術を考えても良いかもしれない」

Y先生からそんな打診がありました。

脳幹は手術が非常に難しく、Y総合病院に出向で来ているM大学病院の脳外科医のチームの方の一人、U先生と4/30に面談をすることになりました。

この時は、母も車椅子で一緒に説明を聞きました。

 

手術のリスク→場所が脳幹なので、ギリギリを攻めるが全部は取り切れない。後遺症が残る可能性が大きい。

手術のメリット→再出血はかなりの確率で抑えられる。

 

母の答えは「手術は嫌だ」でした。

でしょうね。怖がりですし。゚(゚´Д`゚)゚。

 

U先生はお若い先生ですが、とても穏やかで優しい方です。

「ご家族の方と相談をして、ゆっくりお考えください」

と言って頂きました。

 

この時、母は既にメールを打てなくなっており、面会できない状態ではコミュケーションを取ろうとしても難しい状況でした。

Y総合病院はレンタルパジャマのみで、下着は毎週届けていたのですが、尿取りパッドやリハビリパンツも届けていました。

病院のを使っても良いのですが、高額になってしまうので週に1~2回、お届け。

 

前の時の入院時にお世話になった看護師さんや、ソーシャルワーカーのHさんに母の状況をお話して頂いて安心したものです(面会ができないため)

それでもY先生はインフォームドコンセント(2週間に一度は呼ばれた(;´Д`)

の折りに、母を連れてきてくださいました。

 

「母さん、手術は怖いと思うけれど、私は母さんにもう少し長生きして欲しいよ?」

あれほど手術を怖がっていた母ですが、私のその言葉に頷いてくれました。

構音障害のある言葉で精一杯母が紡いだ言葉は

「そうね、でも、手術して、おトイレに行けなくなったら施設に入れてね。ごめんね」

と。

 

年齢的にも、手術を受けるギリギリの70代前半。

 

5/25

この日はダンナも一緒にY総合病院で、M大学病院のU先生、総合病院のY先生と共にインフォームドコンセントを受けました。

 

6/15にM大学病院に転院→7/4にメイン執刀医のG先生やチームの方と面談→7/6に手術→状況を見てY総合病院に戻る→リハビリ病院に転院→自宅もしくは施設

 

とざっくりとしたスケジュールが組まれました。

 

出血は収まったものの、3回目の出血で母の状態は確実に悪くなったと分かるのと、積極的治療をしないと、ちょっと危ないかな?

オブラートに何重にも包んではいますが、Y先生は大事なことはハッキリとおっしゃってくださいました。

 

6/15に、母はM大学病院に転院しますが、病院の救急車で搬送してくださいました。

病院にも救急車はあるんですね(初めて知った(;´Д`)

いわゆる消防署の救急車とは用途は違いますが、あるのだそうです。

 

看護師さんに見送られ、なんと、Y先生自らが乗り込み(え?先生、いつもめちゃくちゃオペ着を着てて忙しいよね?と思った)

M大学病院に到着。

 

7/4のインフォームドコンセントまでは、母とは一切!会えません。

緩めだったY総合病院とは違って、大学病院は面会については厳しかったです。

 

 

この時、ケアマネさんと連絡を取り合って、デイサービス、訪問リハビリを一回解除して貰いました。

どう頑張っても、年内いっぱいは入院になりそうでしたので。

 

転院の際、私も一緒に救急車に乗ったのですが

「しんぱいかけてごめんね」

と何度も不自由な口の動きで話す母に

「心配をかけられるのが嬉しいんだから、もう言わないの」

「ありがとう」

という話をして、ずっと手を握りました。

 

4月に入院したときは、また前回のようにリハビリ病院で少しは元気になって、一緒に暮らせる、と思っていたのですが、もしかするとそれは無理かもしれない。

 

介護24時間か?それとも施設か?

うっすらと頭をよぎりましたが、何より7月の手術が成功してくれるのが大事です。

 

脳幹血管腫の手術の論文を読みあさったのもこの頃でした。

そして、7月の手術を迎えます。