2020年4月、リハビリ病院を退院した母を迎えに行き、実家に寄って当面必要であろうものを搬出して、自宅に帰ってきました。南向きの10畳のお部屋が母の部屋、北向きの洋室2部屋を私とダンナのお部屋にしておきました(私達夫婦は結婚当初から別室(笑)
トイレも部屋移動も総てバリアフリーです。
家賃は予算より高くなりましたが、母が食費名目で月に4万円入れてくれるというので、このマンションにしましたが・・・
今もなお住んでいます。ええ、家賃、高いよ
。゚(゚´Д`゚)゚。
翌日にはケアマネさんがいらしてくださいました。
世の中はちょうど緊急事態宣言が出された頃です。要介護の再認定やリハビリ計画を立てて行きますが、要介護2が認定されたので、デイサービス週2、訪問リハビリ週2で組んで頂くことになりました。
このケアマネさんは2019年に父のがんが発覚した時からのおつきあいなのですが、当初は「もう少し精査して介護事業所を決めれば良かった」と後悔したものです。
ケアマネさんは一度決めると変えづらい(気持ち的に)
あと、個人情報がばかすか漏れるので、これからケアマネさんを決める方はくれぐれも慎重に、とお伝えしておきます。
とはいえ、県立がんセンターとY総合病院のソーシャルワーカーさんのおかげで、かなり対応は良くなりました。
訪問介護はPT(運動療法士さん)とST(言語療法士さん)の2回に決めたのですが、言語療法士さんのいらっしゃる事業所が少なかったです。
しかし。
リハビリ病院を退院してきた母ですが、体の動きがよくなっていて、リハビリの重要さを感じました。軽く壁に手をつけば、おトイレもお風呂も一人で出来ますし、なんならお料理も出来ます。構音障害はありますが、会話は十分。ごく希に「ん?」と聞き返すくらいです。
食欲もたくさんは食べられないけれど、固形食も普通に食べられる状態です。
ですから、心配性な私が気を遣ったことと言えば、外出は一人で出来ないので同行する、お風呂は必ず私がいる時に、デイサービスの車までの送り迎え、諸般のやり取り、といった感じです。
ダンナの会社は4月下旬から緊急事態宣言を受けて長期休みに入りました。リモートで出来る仕事ではないので、全くのお休みです。
これが有り難かった。
なぜなら、私は、本業→1日で済むところが3密回避のため3日になる(つまり忙しさに拍車がかかる)
副業→GW前後に少しお休みしたくらいで、あとは通常(;´Д`)
とはいえデイサービスも訪問介護も緊急事態宣言を受けていたので、本格的に利用し始めたのは5月の終わりくらいからです。
3人での生活は、それほど問題も無くスムーズに始まりました。
まず、生活の時間帯があまり実家と変わらなかったこと。
強いていえば、夜型なので22:00に私とダンナが夕飯の頃は母はお部屋でTVを見ているかウトウトしている時間帯。
といっても、私は結婚が遅かったので、私の生活時間は母は把握済み。
この時、母は、いくつかの薬剤を処方されていて、その中には導眠剤も含まれていました。やはり脳の疾患ですから、ないと眠れないことも多かったようです。
夜中2:00くらいにたまにお手洗いに起きてきましたが、私がまだ起きている時間帯なので無問題。
ダンナが長期休みに入っている間に、母の免許返納やら、役所手続きとか、父の銀行の遺産整理、実印作りなどを行いました。
ありがたや。
車がないとさすがに母を連れ出せないので、ダンナは大変だったと思いますが、細かいことを気にしない彼の性格が、時にはいらっとするのですが(笑)この時は助かりました。
母とダンナは割と性格が似ていて
私は亡き父と性格が似ていて
トラブルなく過ごせたのは良かったと思いますが、私が一番気を遣った(ダンナと母の両方に時折聞き取りをしたり)
ような気がしないでもないような(笑)