昨年亡くなった母のことを、のんびりと書いていこうと思います。

 

母は49歳の時に子宮筋腫になり、職場で倒れて緊急搬送。ちょうど私が長期出張から帰って来た日で、電話を貰った時は「へ?」(母は健康体だったので)といった感じでした。

出血がひどくて、貧血状態だったためすぐに手術が出来ず、3週間ほど入院して、子宮を全摘しました。卵巣は残しました。父は術後の生検の説明に来られず、私が受けたのですが、今から30年近く前になるので画像ではなく、ホントに切除した臓器を見せられ、貧血を起こすかと思った(;´Д`)

いや、半分、起こしていた。予告もなく見せるモノなの?昔はそうだったの?

医療関係に従事されている方を尊敬します。

子宮筋腫ですから悪性ではなく、筋腫を切除してからはかえって貧血になったりすることがなく元気になった&更年期障害も殆どなかった(本人談)

 

母は病院が嫌いで(大好きな人はいないだろうが)健康診断も殆ど受けてこなかったのです。

とはいえ、たまーに風邪をひくくらいで健康体。

 

2013年(だったと思う)初夏の頃、私はもう結婚して独立していたのですが、日曜の昼に父から電話が来て「母さんが熱射病になった」

なんですと?

父は家事が出来ません。それは大変、と自宅に向かったのですが、どうやら家の周りの掃除をしている際に目眩に襲われて、お布団で横になっていました。ポカリなどがなかったため、経口補水液を父が頑張って作ったらしいのですが、父さん・・・

しょっぱい!!(笑)

母は

「日射病よ~」

と言っていたのですが、熱射病にしては顔色がおかしい。

近くの病院だと総合病院があるのですが、私が結婚前にかかりつけにしていた内科医の所に翌日行くように念を押して、その日は父のご飯を作り帰ってきました。

 

翌日、母は父にきつーく言われて、内科医に行ったのですが、即座に紹介状を書かれて「すぐに大きな病院に行ってください」

鉄分がほぼすっからかんの血液検査だったそうです。

結局、近くの総合病院の内科に行ったのですが、原因が分からない。

内科→消化器科で、胃のあたりに影があるということで、もしや胃がんでは?!と手術の日程だけ押さえました(MRI検査前でも、内視鏡検査前でも、手術の日程だけは押さえるのがデフォ)

ところがですよ。

CT、MRI、内視鏡と検査をしたところ、胃がんの所見は見られず、医師が頭を抱えることに。

その時の母の体調は、貧血症状はあったもののそれくらいで、普通に家事をしていました。

 

私と父はとってもよく似ていて、一緒に診察室に入り、2人でペンとノートを開いて医師の言うことをメモ。

その後2人で照らし合わせて、WORDで文書にして共有。

もし、父と一緒に仕事をしていたらさぞかしいいバディが組めたことでしょう(笑)

 

結局総合病院で原因が分からず、PET-CT検査を別の病院で受けることになりました。

この病院が私が昨年子宮体がんの手術を行った病院です。

1ヶ月くらい検査が続いて、出た診察結果は「悪性リンパ腫」

Y総合病院は血液内科でも難しいと(当時は)言われて、転院をしました。

本院は血液内科のエキスパートのいる病院だったのですが、都内であまりに遠いのでT

病院分院へGO。

いやぁ、その分院は看護師さんも医師もすごかった。腕が良かった。血液が採取しにくい母の採血を一発でいつも決め、さっそうと病院内を歩く姿はオーラが見えるほど(笑)

 

看護師をしている友人に話したら「あそこは看護師でも腕がないと就職できない」とのこと。

ただしとても辺鄙な場所にあり、コンビニさえ遠かった( ̄▽ ̄;)

 

母がした検査は、血液検査、MRI検査、CT検査、内視鏡検査、骨髄検査、3日入院して検査づくめ。

この骨髄検査は痛いのは有名です。

怖がりな母はビクビクしていたそうですが、先生はささっと終わらせてくれたそうです。

 

この「悪性リンパ腫」の診断(多岐にわたるものなのでまだ詳細は分からない)が下りたとき、絶望に陥っていたのは父。

ネットでいろいろ調べていたのでしょう。

母ラブな父ですから、「母さんが死んじゃったらどうしよう」とオロオロしていました。診察は必ず父が一緒に、私も行ける時は同伴しました。確かうちのダンナも心配して何度か一緒にインフォームドコンセントを受けています。

 

そして分院で最終的な検査結果が出ます。

「悪性リンパ腫」の中でも胃MALTリンパ腫という種類でした。ピロリ菌が母からは検出されなかったので、放射線治療へと移行・・・

 

だったのですが、分院では放射線科はなくて、結局実家から5駅ほど離れたT大学病院への転院になります。

ここまで体調を崩してから、2ヶ月以上かかっています。

当の母がそれほど具合が悪くなかったのですが、父が絶望にとらわれているのを見て

「○○(父の名前)さんを残してまだ死ねない!」

と強い気持ちをもっていたおかげで、辛い検査ものりこえてくれたのだと思います。ちなみに、Y総合病院の胃の内視鏡は軽く麻酔をかけて知らないうちに終わっているやつで、T病院分院は喉の麻酔のみで、母は「胃カメラは鎮静剤を打ってくれるところがいい」と痛烈に感じたそうです。

 

父を残して・・・が一番の気持ちだったと思いますが

「お父さんを残して逝ったら、○○(私)の寿命が縮む」と思ったらしいです(笑)

 

それには逸話があって、まだ会社勤めをしたとき、母が祖母の介護で1ヶ月ほど家を留守にしたことがあったんですね。

うちは母がスペシャル専業主婦なので、家の中はぴかぴか、お洗濯はぱりぱり、お料理も黙っていれば出てくる家です(私が社会人になってからは父にだけ)

 

社会人になっていた私は、1ヶ月、母ほどでは無いけれど、お弁当作り、朝食作り、お洗濯、夕飯を作って置いておく、お掃除。

 

ええ。

5キロほどげっそりと痩せました。

母が帰ってくる日、羽田空港まで迎えに行ったのですが、あまりにもげっそりと痩せた私を見て、娘だと分からなかったほど(;´Д`)

まぁ、私的には大変でしたけど、嫌がらせで父のお弁当をめちゃくちゃキャラ弁チックにしてみたり、楽しかったんですけどね(笑)

おべんと箱を開けて、ひえっ!となったであろう父を想像するのは楽しい (・∀・)

 

そういうことを思い出して、母は

「頑張るわ!」

と言っていました。そしてT大学病院への転院になるのです。