先月1/30は父の命日でした。2020年に亡くなったので5年が経ちます。

月命日前後にはお墓参りに行っているのですが、思えばこの5年、お墓参りで

雨が降ったことがない

「今日は雨だねぇ」

なんて、ダンナと言いながらお墓参りをしたこともあるのですが、何故かお参りしている最中は雨がやむのです。確かに父は生粋の晴れ男。

そんな父との思い出はたくさんあります。私は独身時代が長かったので30を半ば過ぎて結婚するまで学生時代を除いて同居していました。

社会人になってからは、実家近くの1ルームの相場の家賃、電話代、電気代を支払って来たので、逆に居心地が良かったのかもしれません(笑)

 

小学校2年生までは、一軒家の借家住まいでした(今、私が住んでいる町と同じ)

大学を卒業して2年で結婚しているので、幼い頃は貧しかったような記憶がありますが、昭和の時代ですから周りもそんなに贅沢な生活をしていたとも思いません。

借家住まいの頃は勤務先が遠かったせいもあり、とにかく顔を合わせない。なんなら父の仕事は警察官?なんて誤解をしていた幼き私です。若かった父はお酒を飲んで帰って来ることも多く、母の話によると、終電を逃してJR(当時は国鉄)の線路を歩いてきたとか恐ろしい逸話もあります(;´Д`)

とはいえ、数ヶ月に1度は焼き肉屋さんに連れて行ってくれたりしてくれました。

 

勤務先の近くの団地に引っ越したの私が小学校3年生の時。

ここからは勤務時間が徒歩20分になったので、朝ご飯は顔を合わせていました。(私は小学生中学年までは、午後8:00になると眠くなっちゃう子だったので)

父は付き合いの多い人でよく家に人が来ていたのを覚えています。母は大変だったろうなぁ、と思いますが、夫婦仲は良くて、晩年、亡くなるまで、父が出勤や出かける際は「いってらっしゃい」のチューをしていました。いや、ラブラブすぎるだろ、と(笑)

私は父に怒られたのは2回くらいだったと記憶しています。1度はピンポンダッシュしてゲンコツ1回。もう一度は記憶が定かではないのですが、なにかで嘘をついた時ですね。「信用は失うのは一瞬だ」と怒られています。手を上げられたのは、ゲンコツ1回の時だけです(ふざけて布団蒸し、とか、うめぼし~とかはされた(笑)

父は運動部の監督をしていたので、私にとってもスポーツは身近でした。小学校の頃は朝ランニングする父と一緒にランニングしたものです。小学生相手にも容赦しない父は、私のペースに合わせることもなく1周ぬきでどや顔をされて悔しかった私は妙に足の速い子に育ちました(笑)

中学生になると、さすがに私も部活の朝練などがあり朝ランニングは時間が合う時だけになりましたが

「勉強しなさい」

とか

「遊んでばかりいるな」

とか、一度も言われたことはなかったです。というか、中学生にもなると思春期ですから「お父さんの洗濯物と一緒にしないで」な時期があってもいいとは思うのですが、かなりボーイッシュに育った私は自身の服だって部活で汗まみれ(笑)

反抗期もあったとは思いますが、せいぜい、ぶつくさと心の中で悪態をつくくらい(父も母も怖かったんで、チキンな私はそのくらいが限界(T^T)

 

高校を受験する中3になった時、内申が足りなくて公立のトップに行けないと判明した中3の秋。私立はお金がかかると分かっていても、公立の2番手以降に行く気がしなくて、パンフレットで見た私立高校が運動部が盛んと分かって、目的を告げた上で塾に行かせて欲しい、と母に相談したらもちろん父にその話が行き、

「やると決めたならやりなさい」

と言ってくれて、私立の勉強などしていない私は中3の10月時点で偏差値50ちょいくらい(ショックだったわ、私立基準だとこんな低いの?って)

目標校の偏差値は65超え。

10月~1月の4ヶ月で、あれほど勉強したことはなかったと思うくらい、数学と英語を勉強しました。ちなみに国語は勉強らしい勉強をしたことがない。なんとなく取れちゃうので、塾でも国語は採らず。行った塾は小さな塾でしたが、水があったのか、1月には目標偏差値近くに到達。

 

そういえばこの頃、母が免許を取りました(当時、母は30代半ば)送り迎えもあったと思います。

それに触発された父がやはり免許を取得。負けず嫌いな父らしいエピソードです。

 

受験生とはいえ、父は特に私に何か言うわけでもなく、母の負担の方が大変だったと思いますが、母から私の様子は聞いているらしく、「風邪ひくなよ」とか、声はかけてくれました。

そして受験発表の日、めでたく第一希望に合格した日は、お寿司で祝ってくれました。

 

生まれてから中学生までの父の思い出は、仕事が忙しい人だったこともあり、あんまりないよなぁ、と思いながら書いていたのですが

※1ヶ月に1度の外食

※朝ランニング

※当時出来たばかりのディズニーランドに連れていってくれた

※夏場は毎朝遊んだ(虫取りとか、川遊びとか、いや、私、娘だけど(笑)

など、忙しい中でよく時間が取れたなぁ、と。

それを前に言ったら、「俺はやる時はやる男なんだよ」とドヤァ(笑)

そうは言っても、OBの方に遊びに連れて行ったことも多かったですけれど、一度懐に入れた人に対しては、縁を大事にする人で、調子のいい人や口先だけの人はあまり好かなかったようです。

 

そういえば、父が亡くなった時、父の勤務先の先輩にあたる方から、父のOBの方にこんなメールが届いたと転送して頂きました。

 

=引用

連絡をくれてありがとう。非常にショックを受けている。(中略)

風呂敷のような人で、大きく包容力があり、人間味の溢れる人でした。これからますます後輩を始動して欲しい人材でした。惜しい人材を失った。非常に残念でならない。

○○先生(父)と貴君(OBのSさん)とのやりとりを拝見して、江戸時代中期の「葉隠」の言葉。「武士道というは、死ぬことと見つけたり」を思い出した。○○先生は何事も本気に、死ぬ気で取り組めと指導したのではないだろうか。

死を迎え肉体は朽ち果てる。人間にとって死は最も恐怖である。生きていく上での恐怖も多々あるだろう。

人は死んだ気になってやれば、どんなことでもできる。敵は己の中にあり、己を超えられるのも己だけ。まさしく侍魂を有した人材でした。

 

 

こんな弔辞を頂いて、ああ、風呂敷って、ってストンと腑に落ちました。

娘ですから、あくまで「父」としての姿しか知りませんが、どんな形のものでも包める、そんな存在だったのだと思います。

 

石原裕次郎さんが好きで、その昔西池袋でブイブイ言わせていた(らしい、本人談)父との思い出は、私の高校時代からは、さらに増えていきます。