父が亡くなって翌日、Y総合病院へまず赴きました。
リハビリ病院は再度入院するために待機しなくてはなりません(長期入院が多いので空き待ちになる)その手配をソーシャルワーカーのHさんにお願いして、検査の所見を改めて聞きました。
てんかん発作の検査は今のところなくて、脳幹からの出血もなく、過度の疲労とショックから気を失ったのだろう、という前日と同じ所見でした。
ここで、私はひとつの決断をします。
「お通夜は母には参列させず、告別式に備えてもらう」
ことでした。
何しろ、明日が既にお通夜、の状態で、無理をさせたくない。
これを母に伝えたところ、はじめは難色を示していましたが、結果的に「最期のお見送りのために」と説得しました。
さあ、ここでのしかかってくる「施主代理」
実は、親戚と、OBの中でも一部にしか知らせないつもりだった父の訃報ですが、これがそううまくはいかず、結構広まっていました(誰が悪いとか、ではない)父は教職に就いていたのとかつての勤務先が近いのと、関係者が多かったことで知られたのだと思います。
親戚は、父の実兄夫妻とその息子夫婦、実弟夫妻とその子ども、実妹は闘病中なので、2/1の昼間に顔だけ見に。
OBの方々の中から、お通夜と葬儀の受付を出してくださると言うことで、火葬場まで参加されるのは15人くらい(結局、俺も行きたい!と続出した(笑)となり増えたのを謝られましたが、感謝しています
2020年というと、コロナ感染症がちらほら言われていた頃だったのですが、まだマスクをしてね?くらいだった頃です。
母を説得してから葬儀社に行き、最後の打ち合わせ。
仮見積書を出してもらって、金額を確認します(もちろんお支払いは後日落ち着いてから)
○お香典返しなどは、多めに用意して貰って使った分だけ請求
○お通夜のあとの会食は人数がだいたい、でいいが、翌日の精進落としは人数ははっきりしてもらいたい
○お寺様へのお布施(これは戒名代込み)→当日払い
○遺影にする写真
※これがみつからなくて、本当に困った。結局父のOBの方の写真から探して貰い、ちょっと照れ笑いしたような素敵な写真を遺影にしました
○遺影のお写真の額選び
もうね、未知の世界過ぎて、OBの方や葬儀社の方に何度「不勉強で申し訳ございませんが・・・」の枕詞を言ったことか(笑)
でも、OBの方々は当時60代後半の方が多く、「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥、なんだからどんどん聞いて!!」と言われました。
さすがは運動部OB、気持ちのさっぱりした方々が多いです。
2/1
昼に病院に行き、「今から行ってくるよ」の報告を母にして、葬儀場へ行きます。
父が安置されている和室でお線香を上げ、エンゼルメイクをした父と会います。本当に穏やかな顔でした。
午後には、父の実兄、実弟ご夫妻が来られて、控え室に案内します。
母の不在は既に伝えてあって、供花などを出して頂きました。供花は喪主も出すと初めて知った私。母の名前で1台、私とダンナで1台、親戚で一対、OBで1台、あと、父の務めていた学校などから頂きました。
生前、父と電話で大げんかしてしまった叔父(これは本当に言葉の行き違いで、当時精神的に不安定だった父が曲解したと思う)は、父の安置されている所で、お見舞いに来るはずだった1/30に亡くなってしまったことを大変後悔していて
「おい、○○(父の名前)順番が違うだろう!」
と。父と叔父は8歳差なのでかなり年上なんですね。
「兄貴、もっと会えば良かった」
父の弟も、泣いていました。
はたと、ここで気付く私。叔父や叔母に会うのは実に数十年ぶり(;´Д`)
私の結婚式は両親と友人数人でしたので、叔父叔母に会っていない。
「お久しぶりです」
なんて、みんなで控え室でお茶を飲みながら笑いました。もちろんダンナは初対面。前の日には父方の家系図を書いて説明しましたよ(笑)
いやぁ、喪主(代理)って本当に大変です。
親族とのやりとり、葬儀社に呼ばれる、OBの方々との打ち合わせ、お寺様へのご挨拶、座っている暇がない。
夕刻、「納棺の儀」を行い、父のOBの方、親族の男性、旅装束を着せるのは女性、と分担して、納棺しました。そして、お通夜を迎えるのですが、この時は喪主挨拶はありません。
お通夜開始の前には従兄弟たちとも数十年ぶりの再会。
一番近い年の従兄に会ったときには、思わず「○○くん!!」と頼れる兄貴を見つけたような気持ちになりました。
いや、ダンナに頼れ(心の声(笑)
お通夜は、予想していた人数の2倍近くの方がお越しになられまして、スタッフさんも大慌て、私もビックリ。まさか退職してずいぶん経っているのに、あんなにいらっしゃるとは思わなかった(;゚ロ゚)
お通夜のあと、OBの方や親族、父の大学の同期の方など、食事を用意していたのですが、足りなくて、葬儀社の担当だったTさんも大慌てだったようです。
が、さすがに大きな葬儀社なので、慌てていても不備は全くなく、無事にお通夜を執り行うことが出来ました。お通夜のお坊様はご住職で、翌日の告別式はご住職の息子さんが来てくださることになっていました。
電話で父のことをいろいろ聞かれ、授けて頂いた戒名なのですが、お坊様ってあれだけの会話で戒名をつけられるんだなぁ、と尊敬をしました。
さて、喪主代理の私がバタバタしている間に、ダンナは何をしていたのでしょう?
「○○ちゃん、いいダンナさん貰ったねぇ」
と親族一同に褒められました。
「何かしたの?」
「いんや、喫煙所でおじさん(父の実兄)と喋ったり、お茶を入れたりしてた」
「・・・」
「そうなんですよ、気は利かないんですけれど、優しいんですよ(*゚∀゚*)」
と吹聴しておきました。自分の選んだ夫ですからね、そりゃ褒めますわよ(笑)
大幅に人数が増えて慌てたりもしましたが、父が多くの方に悼んで頂いている、と思い、感謝しました。無事にお通夜を執り行い、翌日に備えます。
告別式では母の代わりに私が挨拶をせねばなりません。原稿を調え、お通夜の夜は更けていきました。