12/23に退院して、その日は横になったりしていましたが、お布団から起き上がるときが痛くて大変でした。
小さなタンスがあるので、そこの引き出しを少し開けて左手で掴んで起き上がる。
「うぎぎぎ」
と言うと、ダンナがすっ飛んできて見守って(手伝ってくれるわけではない)くれました。
12/24、25(術後4日目ー5日目)
この日の朝から、続いていた微熱が下がりまして、ダンナはこの日健康診断だったので、お昼に「崎陽軒のシウマイ弁当」を買ってきてくれました。あら不思議、食欲がなかったのは微熱のせいだったのか?と今では思います。
お通じが出ないので、下剤(コーラックと同じ成分)を買ってきてもらったのですが、なんだか飲むと負けた気になります(笑)
普段、便秘とは無縁なので余計なのでしょうが、この日からお通じが出まして、一安心(下剤は飲まず)
夜は、腰回りを暖めるために湯たんぽをお布団に入れて、寝ました。
動くと痛いのですが(腹腔鏡の傷ではなく、中身が痛い(;´Д`)、だんだん慣れてきまして、ただおなかがきついので、普通のパジャマだとひも部分が当たるんですね。念のため買っておいたマタニティパンツ(ウエストの調節が前ではなく横に付いている)が楽だったです。
12/26(術後6日)
お洗濯をしたのですが、少し動くと疲れる。お昼は近くまで出かけたのですが、いつもは往復20分くらいの道を1時間かけて、おなかに力が入ると痛いので、亡き母が使っていた杖をついてお買い物に出かけました。
※杖をついたのは、生活道路に子供が多くてよく突進してくるから、もあり。
わずか4泊5日の入院と手術で、ここまで体力が落ちるのだと実感しました。
12/28~31
父母の墓参に行ったりしましたが、まさかのダンナが風邪をひきやがりまして(ひどい言いよう)
ちょっと私も体が思うように動かなかったりでイライラしていて、ちょっと八つ当たりをしていました。
大掃除はある程度(カーテン洗う、お風呂、キッチン)したいけれど、いちいち時間がかかるから「むきーっ!!」ってなる。
そんな退院後ですが、2024年は母が亡くなり、葬儀、49日。
そして、自身の体の違和感。
不正出血があった時は、「これは・・・まずいなぁ」ってすぐに思ったんですね。私は基本、病院があまり好きではないのです(いや、大好きな人はいないだろうけれど)経産婦ではないので、「婦人科」も未知の世界。
実際に、母が子宮筋腫で出血したのを知っているので、「子宮筋腫だったらいいな」
とは思っていたものの、各種論文を見ると、どうも「子宮体がん」か「子宮頸がん」ではないだろうか?
でも、まったく実感がわかないんですよ。もちろん、年を取ればあちこちに不具合が出てきてもおかしくないとはおもっていたものの、自分では自分のことを「まだ若いしなぁ」と思っていたのも事実。
あと、更年期障害の症状もあまりなく(もともとパニック障害があるので、どっちの不調か分からない)
「子宮体がんですね」
って言われたときは、ショックというより「あ、やっぱりね」の気持ちの方が強かったです。
1/9に術後の最初の検診があり、そこで手術したものの病理検査の結果が出ます。その結果如何では、追加治療(放射線とか抗がん剤とか)もあり得ます。事前検査では「9割方必要ないだろう」とは言われていても、これからしばらくは定期検診もしなければならないし、人生の折り返しはとうに過ぎたことを実感しました。
だからこそ、健康に気をつけつつも、やりたいことはやっておこう。
2024年はそんな感じでした。