12/23、朝も早くから目覚めてしまい、自販機に行ったら夜勤の看護師さんに心配されましたが(笑)
ただたんに目覚めただけです。
しかし・・・医療関係の方、介護関係の方で夜勤がある方は本当に大変だと思います。
入院前に「絶対に、ありがとうを言おう!!」をテーマにしていたんですが、手術当日の夜はそれどころではなく、
「喉が痛い、背中が痛い」
とか、看護師さんに体位を変えてもらったりして「わがままばっかりですみません」と言ったら「言ってくれてぜんぜん大丈夫なんですよ」と言われました、ありがとう、S総合病院の看護師さん。
亡き母がお世話になっていた介護施設で、面会のたびに顔は知っているもののそんなに話したことのない介護士さんがいたんですね。無愛想、というわけではないのでしょうが、よくお喋りされる方の方が印象に残ります。しかし、母が亡くなって施設に荷物を取りに行ったときその方が
「○○さんが亡くなって、悔しい、寂しい」
と私の背中を撫でながら泣いてくださいました。母は施設で急変して心肺停止の状態で搬送されたのですが、その方の手の温かさに「人は見た目や少しのふれあいだけで判断してはいけない」と思いました。
S総合病院の看護師さんは、あまり余計なことはお話しなさらない方が多かったです、それが「無愛想」という口コミとかに繋がっていたらちょっと嫌だなぁ、と。
さてさて、7:00、採血のお時間です。初日に大失敗された青たんは、見るも無惨な状態になっていて、何度も謝られました。
「私の血管、どんな新人看護師さんも失敗しないという逸品なんですよ」
と軽口をたたいたら
「え?!確かに、ここに素敵な血管が見えますけれど、緊張します」
と言いながら容赦なく針をぶっさす看護師さんでした(笑)
8:10頃に部屋でストレッチをしていたら、配膳のスタッフさんが入ってきて硬直。
「○○(フルネーム)さんですよね?」
「あ、はい、おはようございます」
「びっくりした・・・」
は?!何にびっくりしたんでしょう。短髪で長身なのでメンズに間違えられた?!んなわけなかろう、パジャマだし(笑)未だに謎です。
この日は、納豆しか食べられず(;´Д`)ていうか、白米が喉を通らない、納豆がこんなに美味しいと初めて思いました。
8:30に先生の診察を受けます。
まずは、切った物の映像ですね、子宮体がんなのですが、子宮筋腫もあって、それが900グラム×1、と小さいのが3つくらい、ずっとお付き合いしていたのですね。
内診をして、超音波をクリア、血液検査もクリア、病理検査は1/9の術後初の診察までには出るそうです。
腹腔鏡で切った痕に貼ってあったテープをピリピリッと勢いよく剥がしました。
医療関係の方は思い切りが必要なお仕事なんだと思います。
通常の腹腔鏡よりお臍をかなり大きく切っているので、傷口の痛みが少し長引くかも、お通じはあと3日出なかったら下剤を使うこと、膨満感は徐々に薄れていくこと、体を冷やさない、風邪に気をつけること、といくつか注意事項を言われました。
9:30にダンナが迎えに来てくれました。術後すぐは記憶にないので(笑)4日ぶりの再会です。キャリーケースに荷物を戻して、会計さんから書類が上がってくるのをジュースを飲みながら待ちました。
さて、12/19~23の入院中、喫煙者ですがとりあえず煙草を吸いたいと思わなかった。特に術後はそれどころではなかった。が、吸っていい状況になると吸いたくなるもので。
会計が上がって来たので、中腰になりながら5Fから1Fへ移動し(同じく退院日だったらしいお若い方も同じく中腰で、ちょっと笑ってしまった)会計は¥150,000ほど。
個室の差額がなければ10万円以内に収まっていました。
最初の個人病院から、約¥200,000くらいかかっていますが、保険である程度下りるので、実際の持ち出し分は2~3万円と思われます。
外の風が気持ちよくて、ダンナに支えられながら車に乗り込み、セブンイレブンの冷凍うどんやゼリーやら、いろいろ買い込んで帰宅しました。
そういえば、ガスは出るがお通じはまだです。今日も出なければ、コーラックでもダンナに買ってきてもらおうと決心しました。
家に着いて安心したのか、お昼を食べた後は少し横になりました。微熱が続いているので、食欲があまりないのですが、お昼はおうどん、夜はリンゴと茶碗蒸しという、まぁなんて健康的(?)な食事。
2024年は10月に母の急逝で心配をかけたダンナに、私の病気、というWでの心配をかけてしまいましたが、長い結婚生活にはきっとこういうことも乗り越えなくてはならないときがあるのでしょう。
お礼はしっかりと伝えました。
この日の夜までは、痛み止めを飲みました。
やっぱり、おうちはいいものです。
父と母のお仏壇に「無事に手術が終わったよ」の報告をしました。