時代はどんどん合理的なものを追い求めるようになり、泥臭い無駄なものが排除されていってしまっているようです。スポーツで言うところのデータ至上主義により、いかに相手のデータ分析が出来たかによる勝負へと変わっていきそうでもあります。

 それは、スポーツ本来の心・技・体を競うものとはかけ離れていく危険もあると言え 競技力を高めるための練習や鍛錬の努力よりも、相手をいかに分析できたかによる事前学習の努力のほうが優先されることが、スポーツの振興にとって望ましいのかという疑問があると思えてきます。

 これを会社経営に置き換えると、これからコンビニ・スーパーなどでの小売業の決済は無人のセルフで行えるところが増えて来るとも予想され、これにより顧客のレジ待ちの時間短縮が図られて、早く買い物を終えることができるので、合理的ではあるのですが、店員さんの接客力という部分が軽視されてしまうことが望ましいのかという疑問も出てくるように思えます。 

 これは、ひとえに時代の流れと言ってしまえばそれまでなのですが、サービスを求める消費者にとっては、早く確実に高品質のものを妥当な価格で手に入れられれば何の問題もないのですが、

人と人とが心を通じ合わせて感謝の気持ちをダイレクトに伝える従来の販売スタイルのほうが買って良かった思える満足度の部分で上回ることもあります。

 ただ、世の中は無駄なものを全て排除出来たら、必ず平和で幸せになるという単純なものではなく、一見無駄に思えることも人によっては安心感や安らぎや潤いを感じることもあり、それが幸福感に発展することもあるということです。