ブラスからのオケ練習。
パーカッションって、出番が少なくて
特にオーケストラの曲になると最後に一発、ハイ終了ってのもざらにある。
しかもそれが複数人必要な一発だったりして
その上とっても重要な盛り上がり部分にドカーンとやる感じで
外したらそこまでずっと積み重ねてきた音楽の流れを一気にぶち壊す
そんな最終兵器みたいなものもあるのだけど
例えばずーっと休みなしのバイオリンの人たちと、200小節休みがざらにある打楽器
プロオケなら同じ金額…と考えたとき
あなたならどちらを選びますか?
パーカスがなんであれこれ手を出し足を出しをするのかっていうと
休みが多すぎてひますぎるから。
暇だとついついあれこれやっちゃうんだよね。笑
最終的に楽譜にないことをやらかして怒られたり。
これっていわゆる心屋じんさんの前者後者論に近いなって思った。
打楽器の性質は圧倒的後者。
ずっと寝てたくせに最後の最後でおいしいところを持っていくタイプ。
他の楽器があれこれそれこれ技術を駆使して作り上げてきた音楽を
たったの一発でぶち壊すことも素晴らしいものにさせることもできる。
やってる人が前者か後者かは人それぞれだけど。
後者パーカスは、だれにでも合わせられるという特技がある。
これは、ほんと、パーカスってそういう人ばっかり集まる。
ものすごい個性的なのに、だれにでも合わせられる。
こだわりがないというこだわり。
やっぱりパーカスって水瓶座的。誰の味方でもないけれど、だれにでも合わせられる。
パーカス愛を語ってみました。
ダイヤ型の完成(^O^)
もうしばらく続く、この天木土アス
たぶん「自分自身への価値」の変容なのかなと思う。
自分はもっと評価されていいはず、もっと価値があるはず。ってもがいてる人は
たぶんそのまま。
自分の中に入り込んで、自分って元々価値があるじゃん、変わろうとしなくてもいいじゃん。ってすとんとはらにおちると、目の前が拓ける感じ。
心屋さんでいうところの「ぱかーん」だね。笑
中二病っぽく書くと「覚醒」
洋服を購入するとき、自分に合うものを探す。
自分が洋服に合わせて体を変える必要はない。
自分の体が心地よくて、体にちょうど良くて、色も形も素材も気に入る
正直そういう服って本当に少ないのだけど、でもあった時はそれをすごく大事にするよね。
それが例えば仕事だったり、人間関係だったりも同じで
無理に合わせて自分を変える必要はなくて
自分が心地よくて自分にちょうど良くて、すべてを気に入る
そういう仕事だったり人間関係だったりを選べばいいだけ。
いろんな人と接しているうちに自分も相手も変容していく。
自分を押し通すのではなく、他人にばかり合わせるのではなく
ちょうど良いところで臨機応変に対応しながら社会的活動をしていく。
もしくは、ちょうどよいを見つけることができる社会活動。
そんなアスペクトが今の木・天・土の調停アスペクト。
に、月が関わってくるから、社会活動(対外的)だけではなく、精神面でも心地よくなっちゃう感じ。
もしくは心地よさに気づくのか、分かるのか。
太陽のサビアンは水瓶座10度
A popularity that proves ephemeral
一時的だと証明される人気
自分への無価値観、っていうのは自分の中だけの考えで
「人気がある」=求められるのは、流動的で
いろんな人からの思い込みで束縛されてしまうということ
人気に固執するということは結局自分に自信がないってことだよな。
人気がある、ってのは、好きという気持ちも嫌いという気持ちも両方とも頂くんだよね。
両方とも同じ「気」(気持ち)だから。
自分の中に「気」が足りないから、人からもらって埋めようとする。(人気)
自信を持つためには、自分が自分を気で満たしてあげればいい。
自信って「自身」でもあるからね。
自分の「気」を分け与えることが出来る人が、
その人の「気」が欲しくて人が集まるんだろうな。
人に依存するってつまりそういうことか。(勝手に納得した)
そして満たされなければ他の人のところへ行ってしまう。
その人気に固執するから自分を見失う。なるほどなるほど。
今日は演奏会。
わたしの「気」を満たすのは、音楽だなあ。
上手くできなくてイライラしたり
きれいな音楽に触れて感動したり
いろんな人と気持ちの共有が出来る。
音楽抜きの人生なんて全く考えられない。
たとえ目が見えなくなっても、耳が聞こえればいいって本当に思う。
