当ブログをご覧いただいてるみなさま、
大雨は大丈夫でしたか!?
私の住んでいる地域は今日になって落ち着きましたが、昨日は緊張感の中で1日を過ごしました。まだ雨が激しい地域もありますし、地盤が緩んでいるところも多いと思います。
どうぞ引き続き、十分なご注意を心がけてください。


さて、、、近ごろ、ほとんど更新ができておりませんで…
なんと、先月は一度しか投稿してなかったんですね(^◇^;)

少し落ち着きましたが、変わらず聞法生活は続いております。


今日は七夕ですね(^o^)
…昼過ぎまで忘れてましたが(笑)


平成6年7月7日、得度式の時の私です!
(※右の一番上)
こうやって見ると、若いですね(・_・;

もうすぐ四半世紀が経つのか、と思うと驚きです。


思い返すと、大変な時期だったと思います。
私個人も、いろいろとあった頃でしたが、
この翌年には

1月に阪神・淡路大震災

3月に地下鉄サリン事件

と続き、本当にこの社会はどうなってしまうのかという危機感を強く抱いたものです。

昨日は大雨で混乱したニュースだけではなく、
オウム真理教の麻原こと松本智津夫死刑囚を含め、計7名の死刑が執行された日として、長く記憶されるでしょう。

死刑制度の是非はここでは触れませんが…
月並みですけど「一つの時代が終わった感」があります。

あの後しばらくは、社会全体に強力な宗教アレルギーが蔓延して、得度して間もなかった私は、えらくバツの悪いような思いをしました。
しかしその宗教アレルギーは、ひょっとしたらある意味、必要悪かもしれませんが、社会の健全性を示すものかもしれません。

宗教の力の恐ろしさ、閉ざされた集団の中の思想の独善性、正義を盾にした人間の凶暴さというものを、実にこの社会に強く認識させたのが、この事件でもありました。
それまでの日本の社会は、あまりにも宗教に対して無防備で主体性がなかったのではないでしょうか。

このような宗教教団の犯罪は、決して許されるものではありません。
いまも癒えない心と身体の傷を負った被害者の方々には、決して忘れることのできない事件です。

私たち宗教者は、我々の内側には必ず「オウム真理教的な偽善」があること、そしてそれに私たちは目をふさいでしまい、ともすれば異なる信仰を排除しようとしていることを、オウム真理的な危険性を内包していることを、いま一度思い返す必要があるのではないかと思います。

今回ほ死刑執行の報道の中で
私がもっとも衝撃をうけたのが、
「オウム真理教家族の会」代表の
永岡弘行氏の言葉でした。

正確な文言は覚えていないのですが
当時、マインドコントロール下にあって、
殺人犯になってしまった当時は若者だった死刑囚たちを

「どうして、あんないい子たちが死刑にならなければならんのか」

「私たち大人は、いったい何をやっていたのか」

と、激しく己を責めるように、絞り出すように話されていました。

長男が入信しただけでなく、ご自身も被害者でありいまも障害を背負って活動されている永岡氏の言葉は、あまりにも重いものでした。

「もしかしたら、息子が殺人者になっていたかもしれない」

という視点と、悔恨の念があったのでしょう。

この視座を私たち宗教者、ことに
「親鸞の教えに生きる」と常日頃は言っている真宗教団の人間は、持ち得ているでしょうか。

自戒も含めて「宿業とは何か」を問わなければならないのだと思うのです。