前回、古田先生のご法話で聞法についてとても貴重なお言葉をいただいたことを書きました。
往生ということでは、聖典などは読まなくてもいいのですが、ただそのことを言葉にしていこうとすると、やはり読まないと難しいかもしれません。あるいは聞く。読むといっても、聖典から聞く。聞法です。自分がうなずいたことを筋道を立てて言葉にしていくためにはやはり言葉が必要です。感性や感覚だけでは無理です。読んだり聞いたりしたことを、自分自身のうなずきを通して言葉にして言い表していこうとするときには、やっぱりきちんとした背景がないと散漫になってしまう。印象とか感想みたいな言葉だけになってしまう。(略)
でもなぜ親鸞が『教行信証』みたいな書物を著わしたのたということを思いますと、やはり自分が出遇った教えをきちんと言葉にしておきたいと思ったのだろうと思います。親鸞はそれが出来る人だった。言葉にしていくには、言葉にできるだけの下地がいるわけで、何もないところから言葉が生まれてくることはありません。感想や印象という言葉に表していくことが得意な人もいれば、聖教を下地にして言葉にしていくことが得意な人もいる。ただそれを言葉にしたとしても、伝えたいことが伝わる保障なんかどこにもない。伝えることなんか誰にも出来ない。それでも伝わってきたという事実は間違いなくある。少なくとも自分のところまでは伝わってきた。そして、自分もまたそのことが伝わっていってほしいと思う。だからそのことを何とか自分なりの言葉にしていきたいと思っています。私の場合はそのことを聖教から教えてもらっている。そうやって伝わってほしいと思っていることは一つしかない。それはいまさら言わなくても分かっていると思いますが「ただ念仏すべし」です。そのことを、それぞれが表現していける言葉を見つけていくしかない。私は、それが、親鸞から学んでいかなければならない一番大事なことだと思っています。
非常に感動したのですが、もっと、私自身のいまの感覚にフィットする言葉はないのかなぁ…という貪欲な気持ちが抑えられず
「どうして聞法するんだろう?」
と答えが見つからないまま、年が明けました。
私の悪い癖で、数冊の本を同時に気分まかせに読み散らかしてるんですが、、、
例えば「年末年始のテーマは還相回向!」
という気分になると、それまで読んでた歎異抄の書籍や、復習が終わってない講座のレジュメ等は放ったらかして、Amazonで思うままに本を買って読み始めて、また止まってしまう、みたいな…(・・;)
そんな中、昨年末に所属寺の若院さんからいただいた数冊の小冊子の中の1冊に
藤場俊基先生の
『信とは何か -浄土真宗における信の意味-』
がありました。
またこの本については、親友@隣町の住職も
「藤場先生の本は、本当に肚に落ちてきた」
と言ってのを聞いたので
こ、これは…読むべき日がきたのかな??
(*´∇`*)
という気がしてきました。
そして、やっと出遇えた、といっていいのか、
聞法について私が探していた言葉はこれなんじゃないかな?と思える一文に触れることができました。
少々長くなりますが以下、引用します(๑˃̵ᴗ˂̵)
三十年間ずっと聞法してきた人と、昨日今日聞き始めた人が同じ条件で浄土に迎えてもらえる。聖典を一生懸命読んだ人間、聖典なんか見たこともない人とが平等に往生する、それでなかったら阿弥陀の浄土ではないのです。(略)
往生ということでは、聖典などは読まなくてもいいのですが、ただそのことを言葉にしていこうとすると、やはり読まないと難しいかもしれません。あるいは聞く。読むといっても、聖典から聞く。聞法です。自分がうなずいたことを筋道を立てて言葉にしていくためにはやはり言葉が必要です。感性や感覚だけでは無理です。読んだり聞いたりしたことを、自分自身のうなずきを通して言葉にして言い表していこうとするときには、やっぱりきちんとした背景がないと散漫になってしまう。印象とか感想みたいな言葉だけになってしまう。(略)
でもなぜ親鸞が『教行信証』みたいな書物を著わしたのたということを思いますと、やはり自分が出遇った教えをきちんと言葉にしておきたいと思ったのだろうと思います。親鸞はそれが出来る人だった。言葉にしていくには、言葉にできるだけの下地がいるわけで、何もないところから言葉が生まれてくることはありません。感想や印象という言葉に表していくことが得意な人もいれば、聖教を下地にして言葉にしていくことが得意な人もいる。ただそれを言葉にしたとしても、伝えたいことが伝わる保障なんかどこにもない。伝えることなんか誰にも出来ない。それでも伝わってきたという事実は間違いなくある。少なくとも自分のところまでは伝わってきた。そして、自分もまたそのことが伝わっていってほしいと思う。だからそのことを何とか自分なりの言葉にしていきたいと思っています。私の場合はそのことを聖教から教えてもらっている。そうやって伝わってほしいと思っていることは一つしかない。それはいまさら言わなくても分かっていると思いますが「ただ念仏すべし」です。そのことを、それぞれが表現していける言葉を見つけていくしかない。私は、それが、親鸞から学んでいかなければならない一番大事なことだと思っています。
今夜は文章に自信がないので(笑)、
このあたりでー🎶
