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まったくの個人的見解なのですが、日本の高僧と呼ばれる祖師方の中でも、その教義と求道の深さだけでなく、文学的にも素晴らしい才能をもっていたのは

最澄
空海
親鸞
道元

の4人(敬・尊称略)ではないでしょうか。
(3人に絞りたかったのですが、無理でした💦)

最澄の「山家学生式」における仏道への真情あふれる言葉の数々、空海の「三教指帰」の絢爛で綺羅とした幻惑されそうな文体、ことさら漢文を使わず仮名文字で透徹した悟りの道を表した道元の「正法眼蔵」の奥深さ…等々、文学専攻ではない私ですが、敬服するしかありません。

親鸞の「教行信証」の文章には、上記の3人のような流麗さは欠けているかもしれませんが、透徹した自己凝視に基づく文章の重みが感じられます。
やはり、生涯にわたって推敲を重ねて、選び抜いた言葉だけを残したという事実がそこにはあるのでしょう。

総序における四六駢儷体の格調の高さは、空海にも劣るものではないと思います。
御自釈の箇所については、肺腑をえぐるような凡夫としての「いたみ」の告白と「出遇い」による信仰の感動の交ぜ織りが展開され、800年の時代を超えて、今なお私たちに豊饒な仏教の歴史と、熱い信仰の息吹を伝えてくれます。
また、当時の流行歌である今様で「やわらげ、ほめ」て生涯作られた和讃には、知識人のプライドに居座ることなく「一切に通ずる」浄土教の教義を伝え続けた柔軟性が感じられます。ここには中世における日本語の言語学的展開のみならず、道元と共通の民衆への深い共感性があるのでしょう。

これらの祖師たちに共通しているのは、やはり求道心の深さと透徹した自己凝視、そして当時でも最上級の漢籍の教養の高さでしょう。

また、4人はそれぞれタイプはまったく異なりますが、能書家でもあります。
親鸞の真蹟には、実直で飾り気のない、独特の力強い筆致があります。

(次回に続く)