今夜は、私が4月から受講している九州大谷短期大学の公開講座
「『大無量寿経』を読む」第4回目でした。

講師は教師試験検定学習会で大変お世話になった、真宗学の青木玲先生です。
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前回が第十八願、今回が第十九願と、ちょうど大経の最も熱い(?)箇所ですので、受講者の熱意と期待もひしひしと感じられます。
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いつものことながら、初学者の私にも分かりやすいよう懇切丁寧に、日常に即した比喩を多用してお話ししてくださいます。

「王本願である十八願だけではなく、どうして十九願が説かれる必然性があったのか」という視点で、自力的な要素から教学の歴史の中でも軽んじられる傾向の強かった「至心発願の願」について、親鸞聖人がこの願を大切に説かれたこと、そして「方便」の重要さを詳しく解説していただきました。

たしかに「自力」や「方便」という言葉を聞くと、私たち真宗に学ぶ者はらそれだけで「真実でないもの、劣ったもの」という考えにとらわれてしまいがちです。

そこにフォーカスした
「自力なくして他力という考え方は成り立たない」
「法を聞く私たち自身の問題として、念仏だけでいいと素直に頷けない心があるから、十九願が説かれる必然性があった」
というお話に、長い間の疑念が晴れてゆく心地よさを感じました。

次回は第二十願からなので、いわゆる三願転入について詳しくお聞かせ頂けるのかなーと楽しみです。


なお、講師の青木先生についてですが…
試験勉強会のクラスのいわゆる「若坊守という名の、そこまで若くはないお姉さま方」から絶大な人気で、みんなうっとりしてました(笑)

(追記)
私は心ひそかに、青木先生のことを「九短のアーナンダ」だと思ってます。
女性の目を見ることを禁止した方がよいのでは…!?と(*´∀`*)