その中華料理店に入ったのは昨秋、ちょうどプロ野球の日本シリーズがやっている時だった。町の、よくある大衆的なそれである。おそらく夫婦であろう、切り盛りしている二人は明らかに日本人ではなかった。発音が、よくある一般的な向こうの人のそれである。
テレビではダルビッシュが快投を続けている。主人が「やっぱりダルビッシュはすごいね」と、夫人にかもしくは僕らにか言った。客は僕と連れしかいない。オーダーの確認も日常会話も、二人が交わす言葉は常に日本語だった。
ここで故郷の言葉を使ったら、それが分からない客にとって疎外感を味わわせることになるだろうと、そう思ったのだろうか。彼らの心意気に感動した。料理の味は普通だったが。
その店が閉まっていた。しばらく休業するとの張り紙がある。いつも客がまばらなその店がまた再開するかどうかは微妙だと思えてならないが、また可もなく不可もないその店の味が惜しく感じた。