山道も集落の通り道もつづら折りで、、折り返しの地点にカメラを据えると人がフレームに長くおさまる。その道を隠れキリシタンが逃げ、役人が追う。江戸時代、信仰を否定した幕府はキリシタン排斥の手を緩めることがなかった。
宣教師のフェレラは拷問に耐えかねて転ぶ。信念を捨てただけでなく幕府にスパイを命じられ、同士を密告する犬に成り下がった。豪邸を与えられて不自由なく暮らし、環境は人を変える。フェレラは始めこそ苦悩するが徐々に顔つきも変わり、精神まで売った。鋳物師の裕佐はモニカと恋仲にあったが自らはキリシタンではなかった。頼まれ仕事で踏み絵にする青銅のキリスト像を作り、その出来栄えがあまりに素晴らしかったため処刑されることになった。キリシタンの火あぶりを冷ややかな目で見るフェレラや、その前に殺されることになって往生際の悪さを露呈する裕佐とは対照的に、踏み絵を踏まなかったキリシタンたちは気高かった。敬虔なモニカはそれを踏めるはずはなく、キリシタンではないにもかかわらず遊女の君香は裕佐に片思いをしているがために彼の作ったものを足蹴にできず、地獄絵図の一端を担う。香川京子も山田五十鈴も高貴な様子が美しい。プライドの低い僕だが、ほんのわずかな譲れない部分は死ぬまで尊厳を保ちたいものだ。どう生きるかよりどう死ぬか。やんごとない理由で息を引きとるのであれば何を残すか。一つとしてやり遂げてはいない身なので死に様だけは誇りを固持する願望がある。