アメリカ,家族のいる風景 母親には、限りなく100に近いパーセンテージで信頼を置いている。さらに弱い人間として、依存したいもしくはされたいという願望もあり、ごく少数ではあるが、否、少数であるがゆえ、または、自ずと少数に絞られた友人、彼らを限りなく99に近いパーセンテージで愛し愛される関係を築きたいと思っている。

家族を省みずに中年になるまで奔放に生きた男・ハワード・スペンスの、岐路に立ってそこからの旅路を描く。映画の撮影途中で、人気俳優のハワードが現場から姿を消した。彼は30年以上も会ってなかった母親のもとへ行く。その映画に出資した会社のサターが彼を連れ戻そうとその足跡を辿る。酒、薬、女をむさぼったハワードの遍歴は、彼の向かう母が残したものと彼を追うサターが見たものから読み取らせた。

自分に子供がいることを知ったハワードは、それを探るべくモンタナへと亡き父の車を走らせた。希望と救いを求めて子供に会おうとする彼だったが、突きつけられた現実は優しいものではない。

モンタナ州ビュートの閑散とした街はどこか非現実的だった。余計な人物がおらず、生活臭はあっても絵空事のような色彩。荒涼の大地をヴィム・ヴェンダースとサム・シェパードが「パリ、テキサス」以来20年ぶりに共に歩む。そこを、劇中の映画スタッフは歩かないで、自動二輪に乗っていた。あれはたしか、小泉純一郎もブッシュからのお土産か何かで乗っているのを見たことがあるが、誰が乗っても間抜けに見えることが分かった。