ほえ~・・・やっとこさアレンジ地獄から脱出できました。akanekoです。

ブログテーマに「作曲♪」ってのも入れたのに、一回も書いてないので。

今日は作曲のこと・・というかアレンジのこととか書いてみたいかな。


・・とかいって、何書いていいかまったく検討がつかないや(笑)

ここまで読んできてくれた人は、私がどんな風にして作ってるかも知ってるか。


そもそも、曲を作りはじめたのは・・

幼稚園のころ。

どんな園児だったのか・・よ!?って思うけど、

まぁ某YAMAHA(某はいらないか。)に通い始めて・・

エレクトーン楽しかったのかな。ってかんじです。


その後も、小中高と曲を作りまくり。

って書くとカッコイいんだけど、

この頃から〆切地獄との戦いでした。

小学校のときなんて、〆切がGWとかで、

家族で旅行してるのに、旅館で一人ずっと楽譜書いてたり。

そんな旅行なんて楽しくないやーーい!!と思いつつ、

辛い行為が報われて、小学校から高1までの曲は全て、

レコーディングされてるわけです。

秘蔵です、こいつらは。

CDになってたり、ならなかったり。

まぁ、でもこの頃はまだまだクラシカル。

そりゃそうです、私の好みは(今でも変わらないよ)

ディズニー、久石譲、バーンスタイン、、、ですから。

初めてディズニーランドいったときから、

「ディズニー映画の音楽作る人になる!」っていってたから。


・・その夢は叶うことないのでしょうが。


そんなわけで、映画音楽のようなものを作ったりなんなり。

それなりに、高校のときは理論も学びました。

「和声」とか、「対位法」(あ、これ変換間違うと大変よ(笑))とか。

理論は、わりと好きだったかな~。

答えがひとつなようでひとつでない数学、みたいなかんじ。

作曲する人は数学が得意なんです!!!

といいますよね。


まぁ、それは嘘なんですけど(爆)

私は大いなる数学音痴です。3点とか、取ってました。

計算とかダメ。微分積分と確率の単元は好きでした。

そんな私が頑張ってやってた理論。ってことは、

これを大学でも勉強したら、もっとディズニーに近づくんじゃ!?


単純ヽ(´ε`●)

そんなわけで、当然のように作曲科へ。

といったって、教育学部しかない、わが大学。


中途半端でした(笑)


週1のレッスン(個人)

やっていくかやっていかないかは個人の自由。

期末に一曲提出。


ラクちん。→サボる。→堕落。→(*゚ー゚)

という4年をすごしました。

・・・ヒドイ(笑)

いや。でもちゃんとやってたよ。

オーケストラもかきました。

でも、ラテンに出会っちゃったから。

バンドってのに出会っちゃったから。

一番大変だったのは、

プレイヤーになりたい!!という思いが出てきたこと。

3年生くらいだったかな。本気で学校やめようかと思ったけど・・・

でも、教員免許が取れるからやめませんでした。


プレイヤーとコンポーザーは両立できるのか。


ここですね。これが一番悩んだ。

だって、どっちも中途半端になっちゃうのいやなんだもん。

そもそも、ピアニストになるのは小学校のときに

「あんたはムリ」っていわれて・・諦めてるし。


でもその思い、再び。

そうこうしてるうちに、アレンジの仕事がきたり。

オリジナルの曲をバンドでやりはじめたり。

それを自分で弾いたり。


・・もしやできるんじゃない?


と思った私。

大学卒業制作では何を思ったか、

みなさんクラシックを書いている中

ラテンビッグバンドを書く、と。

演奏会のときに、弦コンチェルトとかにまざって鳴り響く、ラッパ。

おかしなおかしな光景でした。


このビッグバンドかいたのがおっきかったかな。

一度も書いたことなかったくせに、書いちゃったし、

それなりにかっこよさげだったし(笑)


・・・・そんなわけで、それ以降フルバンも書いたりして。

そして、今日まで・・この数日間書いていたのも・・ね。


世の中に出るのは、夏かな。


自分の音が、世の中で産声あげるのが

一番うれしいこと。


プレイヤーはその場で。

アレンジャー(コンポーザー)はちょいと時間がたってから。


どちらにしろ、自分の音がカタチになるのは

しあわせなことのようです☆


そんなわけで、明日からも頑張ろうと思うわけです。


長々とありがとうございました。

弟が潮干狩りで大量の貝を持って帰ってきました。なので、、

今日はボンゴレとクラムチャウダーをお母さんと作ったよ。

おいしかった(*゚ー゚)


おやすみかん!!

asari