一休さん!


ある日、
一休禅師と新米和尚が
ウナギ屋の前を通りかかった時のこと

一休禅師は
『美味そうな匂いじゃな…』
と、言うが

新米和尚は
「僧侶たるもの、生臭なウナギを
    美味そうとは、どういうことだ?」
と、悶々とします。

寺についてから、
新米和尚は、たまらずに質問します。

『和尚様、先程ウナギを美味しそうと 
    言いましたが、そんなことを和尚が
    言ってもいいのですか?』

これに対して
一休禅師は

『なんだ、お前はまだ、ウナギに
    とらわれておるのか』

『わしは、そんなものはウナギ屋の前に
    置いてきたわ』

と、答えます。
(うろ覚えですが…)


この逸話を知った時
【囚われ】について
いい例だな、と思ったことを
覚えています。



いい匂いがした時に
『いい匂い』
と思うのは、感想。

しかし、
それに対して
『そんなことを思うのは…』
等と、クヨクヨと考えるのは
こだわり。


これの区別がついていないと
人の感想に
ケチをつけることなります。

そんな風に思っていいの?
って。

思う位は自由です。

引きずらなければ。

しかし、
それに対して
思いを巡らせることは、囚われ。
つまり、こだわりです。


感想自体は、
こだわりのない自由な心。

こだわりがないから
その場限りのこと。

それに対して
悶々とする人がいるのですが
悶々こそ、囚われです。



人が、
人に不満を持つ時
理不尽を感じる時

もうその人(相手)はそこにいないケースが
多い。


不満を感じている、当人だけが
そこにいる……


いつまで、
そこにいる?

誰も
『そこにいろ』とは
言ってない。

自分が
【囚われ】て
そこにいる。


嫌だな…
と、思うところからは
サッサと立ち去りましょう。


そして、
居心地の良い場所で
楽しく暮らしましょうむらさき音符


え、、、

立ち去り方がわからない、、、?

じゃ、ずっとそこにいなさい

それ について
考えるのをやめることです。

シンプルだけど
悩みやすい人には
難しいかも……

でも、
思考のクセは直せますグー



最後に
本当の一休禅師の
肖像画です。

下差し



下差し



下差し



……… 滝汗

可、可愛くない……あせる
(当たり前だけど)


今日も笑顔で
過ごせますようにクローバー