あるお寺の行い | 日々の備忘録と仕事とフラメンコと…

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主人と死別、小さな会社経営とバイトしながら呑気な一人暮らし中!フラメンコを楽しんだり離れて一人暮らしをしている新社会人と大学生の息子2人のお世話をしたり、介護も少々。お金はないけど自由奔放なアラフィフのひとりごと…



あるお寺がコロナで失業したりと明日の食べるものにも困っている方達へ、仏様のお供えとして頂いたお米やお菓子を配布するとのこと。


とても素晴らしい行いだと思う。


けど、少し複雑な気持ちにもなった。
ここからは私の勝手な解釈もあるので、気分を害される方も出てくるかもしれません。その時はすみません。


この記事はFBにアップされてて沢山の人が、いいね、やシェアしたり素晴らしいとコメントをしていた。


そもそもお坊さん、お寺とは何の役割を果たす所なのか?亡くなった方の戒名をつけたりお墓の維持のみ?小さい頃に見たアニメ「一休さん」のように、毎日贅沢はせず修行して困った人を助け、だからこそそんな方の説法を聞いて有難いと思うのではないのか?


以前NHKで見た曹洞宗の修行僧の特番を見てたら、これはホント偶然だけど友達発見(笑)
それはともかく、その生活は凄まじくこれだけの修行を日々しているからこそお坊さんに相応しいんだって思ってた。で、同窓会に来てたその友達に、大変な修行してるんだねって言ったら、あの期間(修行の期間)だけ何とか過ごせばいいからと。テレビでは精進料理しか食べていない風だったけど、檀家さんがケンタッキーやらなんやらを差し入れしてくれるらしく太ったと。


もう、信じた私がバカだった…
もちろんちゃんとされた方もいると思うけど、昔のお坊さんとは違うんだなと思う。修行して世の中の人の為にお経を読もうとか説法しようとか、そんな人少ないんだと思った。たまたま生まれた家がお寺で跡継ぎだから…とか。

お坊さん=職業
なんだと。

だから、お米を配布します!ってわざわざ記事をアップするんだと。珍しいからその記事に素晴らしい!とかコメント入るんだと。


でもこれって当たり前のことではないの?


本来なら困っている人は地域のお寺を真っ先に頼って、お寺はそれを受け入れて…
また昔のアニメだけど「フランダースの犬」(これはキリスト教だけど)でもお金もなく困っていたネロ少年が安心出来て落ち着ける場所は教会だった。


まあ、そんな時代ではないのよね、きっと。


本当にこんな事を言うと怒る方もいるかもしれないけれど、私はお寺はお墓の管理業と割り切って付き合っているし、お盆や年末にお金を持っていくのも管理費と思ってる。だからお肉食べたりお酒飲んで酔っ払ったり高級車乗ったり何しようが全然構わないけど、本当に有難いと信じている方に対しては違う。なんで自分はこのお寺という職場を選んだのかを考えて欲しいって思った。亡くなられた身内の方が成仏出来るように決して安くない代金を一生懸命働いて稼いだお金の中から支払っているのだから。


ホント独自の解釈なので気分を害された方、ごめんなさい!


私は仏様の教えは結構好きだし、息子達もブッタを全巻読んでハマってた。だからこそ、その教えを説く方達に期待したい!という気持ちも込めてキラキラキラキラ