マイドッ!

月辺ですやで。

今日は「冬バラ園の勅令」「前途遼遠」を観た。「マル・アデッタ星域の会戦」前後編でのビュコック老人たちの最期があまりにショックだったために(紙コップウイスキーとかカールセンさんの述懐とか諸々。。。)いっくら金様大好きな月辺も帝国軍ばんざーい!のノリには今日ばかりはなれず。

悲しみに暮れるヤンに一刻も早い立ち直りを求めるキャゼさんやポプ、一見すると鬼のドライだけどシュナくんが言う通り(ヤンへの)愛情とかお節介から来てる感情なんだよなって……

それにしてもポプとシュナくんってめちゃくちゃ反り合わなそうで、タイプが違いすぎるので会話してくれて嬉しかった〜!!原作チェックしたら「皇帝にはあんなに沢山の臣下が居るんだからメルカッツ提督にも自分一人くらい居て良いしそうあるべき」(要約)と思ってることが判明して盛大に萌えた。

シュナくん……君はあくまで最後までメルカッツさんと共に在る気なのね……(愛強い。流石エネルギーカプセル云々のやり取りで老提督を思い留まらせたただけはあるな)

いや、ビュコックのお説教といいカリンちゃん(及びシェンコ)の家庭問題といい同盟政府が無くなるとか帝国が領土拡大するとか言ってるときに何だって個人的な人情噺を盛り込むのかしら、と思ったもんだけど、成る程全部が「ヴェスターラント核投下問題」でのラインハルトの愚行(やらかし)への当て擦りなのね、、、。田中先生の誠実さと手厳しさが良く表れているなあと。

ビュコックに「民主主義は専制政治と違って対等な人間関係を作る社会なんだよ」と指摘された金様が感じた苛立ちとか無力感は「元々自分だって権力者になって部下を得たかったんじゃなくてキルヒアイスと共に銀河を平定したかったんだ」っていう気持ちから来てて。でもそれだけ大切な無二の友人を喪ったのは何で?って言ったら自分が(オベに唆されたとは言え)キルヒから特別の地位と武器を奪ったからで(もっと言えば核を投下するブラウンシュヴァイクを放置して民衆の犠牲を見殺したからで)。

その後悔がずっとラインハルトの胸に凝ってるから、最高の権力と軍事力と地位を手に入れても満たされない。この上はヤンと決着をつけるしかない!!になっちゃう。

①キルヒアイスと一緒に大事業を成したい→②キルヒアイスを喪ったから二人の夢を俺一人で叶えるしかない→③目的は達せられたけど肝心の友が居ないから満足はいかない、という盛大な皮肉。

❤がカリンに言った「ずっと死なないと思ってたやつだって遠からず居なくなっちゃう、その後で墓石と仲直りしても意味ないから生きてる内に和解すべきだ」って理屈は直接ラインハルトの耳に届かない(+❤が思い浮かべてたのは♣のこと…)とはいえあまりに痛烈だった。リップシュタット戦役のあとのラインハルトってまさにその悔恨の気持ちに苛まれ続けてるんだもんなぁ。

それから、同盟国というものが消滅して初めて正式に認められた(但しもはや無い過去の遺物として…)ことをラインハルトの厳しさとして皮肉るのがロイエンタールなのは深いというかあざといというか。

なにせロイエンタール自身が、己を意味のある死によってしか是と出来ないと思い込んでいるから…。

 

そして、政治的な話で言えば(もはや形骸化していて、建前だけだったとしても)「民主主義国家」だった自由惑星同盟が無くなってしまった…しかも最後の引き金を引いたのが肝心の同盟の人間自身だなんて!!あまりに情けない結末に、ヤンじゃなくても頭を抱えたくなる訳で。

レベロは一回追い込まれてやらかしてるとはいえあんな惨めな死に方可哀想だなあ、の思いと、恥知らずすぎるロックウェルたちの屁理屈でまたしても鞍替えを揶揄されたファー様も可哀想で。

メルカッツたちもそうだけど、自分の保身や謀略のために誇り・自国を売ったわけじゃなく「自分が本当に仕えるべきと思った正義/思想」に舵を切った人たちが悪く言われるのはきついなと感じた。

そしてユリアンにヤンが聞かせた「軍人」の在り方には私も大賛成だった。武力抵抗によって勝ち得た・取り戻した「国民主権社会」だとしてもその成果を誇るべきはあくまで一般市民で、当の軍人たちではないということ。権力者や行政に属する人間は自分たちの権能を(ある程度)犠牲にする必要があるし、そうでなければ「国民」に依って立つ真の民主主義国家足り得ない(例え彼らの犠牲や頑張りが尊いものだとしても…)ということ。

その大原則があって初めて、ヤンたちの努力やその成果としてのデモクラシーは正当化されるんだから…。でなければ、「ただまだるっこしい手続きと無責任な人民を抱えただけの民主国家に何らの価値はない」っていうラインハルトのあんまりな極論が正しいことになってしまう。

 

そう、この『銀河英雄伝説』も『機動戦士ガンダムSEED』シリーズも少なからず同じテーマを内包してると思うんだけど、結局は我々が日頃から問題にするところの

「個人の享有する/追求すべき自由」「公共の利益・福祉」はどちらにより天秤を傾けるべきか?

なんだよね。核になるテーマは。

個人の利益を認めすぎればそれは私利私欲で権力や金銭を恣(ほしいまま)にする門閥貴族やルビンスキーみたいなやつを生むし(種シリーズならロゴスが代表格?)、かといって社会秩序のためにろくでもない民衆はルールで縛ろう!が行き過ぎれば専制政体を正当化することになってしまう(種Dでは「専制君主」にあたるものが一個人ではなく「遺伝子」そのものなんだと思う)。

我々は自分だけが平和で幸せなんじゃなくて、もちろん皆で自由や平和を共有すべきだけど、「皆で」の為に誰か個人の思想とか正義がどこまでも蔑ろにされていいってわけじゃない(ヤンが不正規隊に居るのも、種でラクスやカガリが「平和」を尊重しながらも戦う道を取ったのもこの理由)。

このバランスが難しいから恒久平和の道のりは遠いんだよな…。でも、自棄を起こすよりヤン提督の言う「数十年」の平和を大切にしたいね。

さあ、いよいよ魔術師双璧の片割れ、宇宙歴史上でもかなり偉大な二人の英雄の命が危うくなってきてるけど……月辺のメンタルは大丈夫なのか。(余談だけどドミニクってあんなおっさんの愛人やってるのが惜しいくらい聡明で良い女だね。平野文さんのお声もたまらないっす)

 

さて。

今日はこれが届いたよ〜!

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懐かしのGBAソフト。月辺はニンテンドーDS Liteの下スロットで遊ぶのだ。

アニメ関連のGBAソフトは『ふたりはプリキュアMH』とか『アニマル横町』くらいしか遊んだことなくて、専らポケモンシリーズ(RSEね)をプレイしてたので新鮮。

よもや第1話をほぼ全カットしていきなり西かw((ミゲルくんと戦わされた挙句ジャガイモの箱に紛れてる書類を探させられるとは思わなかった…

ややチープな音質とは言え主題歌・BGMが要所要所でかかったり、ドットグラフィックが結構綺麗だったりと'04年発売にしては恐ろしく出来が良い。端折り箇所は多いけど「子供がSEEDにふれる」とか「本編を見てない人が初めて遊ぶ」みたいな時には凄くオススメ。独自会話イベントとかも多くて。

しかも「成る程、流石にボイスは無しなのか〜」と思ったら「ミトメタクナァイッ!」が鳴り響いてびっくり。これはプレイする価値大!てか、ムウさんやマードックとキラの絡みはこのゲームが一番盛り込まれてるかも。。。あと、ドットで描画されたクルーゼさんの仮面が妙に緻密で笑いを誘います。

マルチエンディング方式でifルートが色々あるとのことなので、何とかナタルさんを生存させたい!!