昨日までtwitter上で口げんかをしてしまいました。
今までの人生の中で、一番他人に罵声を浴びせてしまったでしょう。
そんなことになってしまい、すごく反省している半面、未だに頭に血が上っている状態でもあり
非常に複雑な気持ちを抱えています。
まさに売り言葉に買い言葉。
自分には無縁の言葉だと思っていましたが。。
口論の相手は農業技術者。話のタネになったのは簡単に言うと
『農薬は自然を壊しているか?自然農法が可能なのかどうか?』
ということ。
しかし、私もそんなことではいちいち怒ったりはしません。
むしろ自分でも可能かどうかの迷いの中でしているくらいです。
そのことに対しては決して否定はできませんし、する気もありません。
では、何がこんなに自分の怒りを駆り立てているのか。
それは、はっきり分かっていて
『人ががんばってやろうとしていることを”戯言”と言うこと』
『農業者であるにも関わらず、まったく自然への感謝の気持ちが感じられないこと』
の2点につきます。
書いているだけでまた腹が立ってきましたw
確かに人にはそれぞれ考えがあり、何をどう思おうと自由ではあります。
しかしそれはすべての人において当てはまること。
自分とまったく違う意見を言うことも自由なのです。
自分の意見とまったく違う人がいるのは当たり前で、そういう人に対して、
なぜいちいち喧嘩ごしでコメントを入れてくるのでしょうか?
サイエンスをかじっている人に案外ありがちですが
せっかくある知識を、できない理由にしてしまう人が多すぎる気がします。
知識が邪魔をしてしまう典型的なパターンに見えます。
知識が多い分、【やれない、できない】という自分への言い訳が多い。
今手持ちの自分の常識や知識で、【それは無理】と言ってしまう。
それがサイエンスの仕事でしょうか?価値でしょうか?
いいえ、それは断じて違います。
サイエンスの本当の役割は
『理想と現実のギャップを埋めること』にあると私は確信しています。
こんな世界になって欲しい、こんなことができたらいいな!
そんな思いとは裏腹に今はできない。とてもできそうにない。
そんな不可能とも思えることを可能にしてしまうことが
サイエンスの役割ではないでしょうか?
どちらにしても農業技術者という肩書きをもつ方が
土や微生物のことを【あんなもの】呼ばわりしたことや
農業は最大の環境破壊活動
と考えていることは非常に残念な思いです。
それを変えてみせるのが農業技術の仕事ではないんでしょうかね?
私はそれが21世紀の新しい農業の形だと思っています。
もちろん、これはあくまで自分の考えですけどね。
もっと別の形で、もっといい農業を実践できるのであれば
それは素晴らしいことだと思います。


