昨日は、長男&夫は大会で遠征~。
 
双子は朝からお友達のお宅で畑作業
(ママの実家に、子供6人連れて行ってくれた・・・泣き笑い)
 
 
お昼は同じくお友達宅でカップラ持ち寄りランチ。
 
どこまで手をかけていいかわからなくて、漬物(きゅうり)とかウインナー焼いてタッパーにつめて持たせようかなーとも思ったけど、子供に他人の親(=わたし)が触った食べ物を与えることが怖くて、乾きもの(6人分のお菓子とジュース、シュークリーム)だけ持たせました。
 
今度はうちでやろーねーラブラブ
 
 
私はというと、文芸評論のお勉強です。
 
事前に3人のアマチュア作家さんの小説が送られてきます。
それを読んで、書評します(自分なりに)。
当日は、超有名文芸評論家の先生が、同じように書評されて、それを伺うというものです。
 
自分の感覚・意見が的を射ているのかという不安が常にあって、ここ1・2年、ときどきこういう練習をしています。
例えば、新人賞の選評を読み比べるとか。
最近その力がついていきて(自分比)、今回もほぼ先生方と意見が共通していてほっとしました。
 
先生型のお話を伺うと、やはり真摯であれということに尽きるのかなと思いました。
「LGBTが流行っている」という理由だけでタッチしたり、
自分の好きな作家の文体を安易に真似したり、
ドラマやネットの浅い(または偏った)意見を取り入れて書いたり、
そういうものはすぐに淘汰されるし、そもそも評論家にはすぐばれるのだそうです。
(実際,その博識に驚きました)
 
もし取り入れるのなら、関係ないように見えるような古典や海外文学にあたると良い、とのことでした。
 
AIと文学というテーマがありますが、
現状、人が選ぶ以上、AI文学が台頭化することはないでしょう。
でも、人間がAI化してしまえばそれは保障できない。
人間が文学に対する審美眼を失ったら…いやもう、失いかねないのかもと最近思ったりします。
 
ビジネス書ならともかく、小説や哲学書を速読しても意味はない。
なんでもタイパコスパではない、と思うのですが、その考えがもう既に「ソフト老害」でしょうか…悲しい