お久しぶりの更新です。
皆様、GWいかがお過ごしでしょうか?
今日は珍しく真面目な記事を書こうかと。
といいますか、今のタイミングで書くこと。また書くべきなのか?と自分でも散々悩んだのですが、私のブログを読んで下さっている皆様が、少しでも自分の事を理解して頂けるのならと思い、書くことにしました。
話はいきなり始まりますが、
もともと私はIT関連の仕事をしており、自分の会社は20人程度の弱小会社なのですが、大手企業との業務委託で、その契約先の会社に常駐し、働いておりました。
分かりやすく言うと、大手企業で社員としてではなく、協力会社の人として働いていた訳です。
私は短大を卒業して自社に就職してから、2つの会社にお世話になってきました。
2つ目の会社(B社としますね)ではおととしの2月から去年の2月まで働いていたので、ほぼ丸1年といったところでしょうか。
このB社。
とてつもなく仕事が忙しく、人間関係が劣悪でした。
そもそも私がこの仕事を選んだのは、
・親に負担を掛けないため。
・自立するため。
・IT関連の仕事なら、将来的にも食いっぱぐれる事はないだろう。
といった理由からでした。
なので、この仕事に対してはこれといった執着もなく、とにかく無職になる事だけは避けんといかん!という思いだけで続けていたのです。
正直、毎日がキツくて、キツくて。
仕事がキツイのは全然耐えられるんですが、職場環境が悪いという事が辛かった。
朝の満員電車でお腹が痛くなり、人を掻き分け、途中駅のトイレへダッシュしたり、帰りの電車で我慢しきれず涙がボロボロこぼれ落ちることはしょっちゅうでした。
それでも私は自分の限界まで頑張ろうと思って働いていました。
その当時メディアでよく「ネットカフェ難民」の事が取りざたされており、「こんな生活送る事を考えれば、なんだって堪えられる!」と思っていたというより、自分に言い聞かせていたのを覚えています。
とにかく自分に限界が来るまで頑張ろう。
そう。
まことに残念な事に、自分の限界を迎えてしまいました。
ある日の朝、どうしても会社に行くことができなくなってしまったのです。
そんな日が週に1回くらい出てきだし、そんな感じで1ヶ月たったころ、会社で仕事をしていたのですが、全く仕事ができなくなっている自分に気が付きました。
仕事ができないというよりは、パソコンの画面を見ても内容が理解できない。
周りの人と話すときに、笑顔が作れない。
「あぁ~、限界が来たんだ・・・」と思いました。
その時の私はとにかく休みたかった。
その場から逃げ出したかった。
私はどうしても会社を辞める決断ができず、「休職」という手段を取りました。
そう。
その場から逃げ出す事に成功したのです。
会社を休職する場合、もちろん診断書が必要となるので、私は精神科へいきました。
病名は「うつ病」。
そんな気はしてました。
その時点で自分がいつもの自分ではなくなっている事に気づいていたので、「そっかぁ。やっぱりね。」
と思ったのを覚えています。
とにかく現場を休む事に成功した私は、近所のスーパーで大量にビールを買い込んできて、浴びるほどビールを飲み、吐く。
という事を繰り返しました。
ビールを飲みながら、何年かぶりに見る「笑っていいとも」。
笑っていいともなのに泣きながらビールを飲んでいる私。
今思えばとても滑稽です。
そんな日が何日か続き、私は家にいてもどうしようもないと気づいていました。
一人で家でボーっとしていても何も変わらないのです。
そんな頃、近所の居酒屋で彼と酒を飲みながらこれからの事や、とにかくどうするのがベストなのかという話をしました。
その当時の私はとにかく親に負担を掛けたくないという思いが強かったんですが、このまま神奈川にいてもどうしようもないのは明らかでした。
そしてその場で、携帯電話を握りしめ、居酒屋の外からお母さんに電話を掛けました。
プルルルッ、プルルルッ
「もしもし、F君?どうした?」
という母の声を聞いたとたん、それまでこらえていたものが嗚咽とともに、止まない涙となって吹き出しました。
とにかく自分を落ち着け、やっと話ができる状況になってから、お母さんに
「1ヶ月だけでいいから実家に帰っていい?」
と尋ねました。
すると母は「もちろん、帰ってきなさい!1ヶ月なんて言わないでいつまででもいていいから。」
と説得するような感じで言ってくれました。
お母さんの愛の大きさに、私はまた号泣しました。
そして私は実家の九州へ帰ることになったのです。
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まだまだ、さわりしか書けていないのですが、ものすごく長くなってしまいそう(笑)なので、何回かに分けて書いていこうと思います。
長い文章、お付き合いくださり、ありがとうございます!
