※私の誕生日は半年くらい先ですが。
先週のオーラの泉。
久しぶりに見たんだけど、ホントに見てよかった。
美輪さんと江原さんから教えられた事。
それは、
「誕生日。それは自分の誕生を祝うだけの日ではなく、むしろ、苦しんで自分を産んでくれた親に感謝する日。」だと。
目の覚める思いがした。
その通りだ。
私はまだ出産の経験はないけれど、出産は命がけだって事くらいは分かる。
そして、痛みやそれに伴う苦労も半端なものではないと思う。
話は逸れるが、実の所、私は母の事は大好き(マザコンに近い)なのだが、父の事は好きではなかった。
むしろ嫌いだとすら思っていた頃もある。
なぜかというと、父は昔、すごく厳しかった。
そしてものすごく神経質だった(今でもそうだが、歳をとったせいかものすごく丸くはなっている)。
ただ、昔の父はとても厳しくはあったが、末っ子の私には甘い節はあった。
きっと歳の離れた末娘がかわいかったのだろう。
それでも私は煙たがっていたケド。
とっても不器用な人だったし。(今でもね。)
父は私が小学生の低学年の頃から高校3年生の2学期くらいまで仕事の都合上、出張や単身赴任で殆ど家にいなかった。
それが、高校3年生の冬になった頃、転職を機に父が実家へ帰ってきたのだ。
そして久しぶりに父との同居生活が始まった。
(その頃、姉二人はとっくに上京していた。)
当時、優しい母との悠々自適な二人暮らしを満喫していた私には、いきなり家に帰ってきた神経質な父は『目の上のたんこぶ』でしかなかった。
しかも高校3年生の頃のわたしは、やさぐれていた。いろいろ理由もあったが、思春期最後の反抗期とでも言うべきか。
学校が楽しくなかった私は、家だけが唯一の自分の居場所だった。
なのに学校から帰るといつも家に父がいた。
父は父で、「目に入れても痛くないくらいかわいかったはず!?」である、末娘の反抗的な態度を目の当たりにする事となった。
そう。
まったく持って馬が合わなかったのだ。
反抗期の娘に不器用な父親。
水と油だった。
父が実家に帰ってきてから、わたしが高校を卒業後に上京するまでの間、父との関係は正直サイアクだった。
そういった過去もあり、ごく最近まで父の事が好きではなかったのだ。
しかも私は父の神経質な性格をしっかりと受け継いでしまっている。
(友達には柄にもないと言われそうだが・・・。)
私は自分の神経質なところが大嫌いなのだ。
神経質な性格で損こそすれど、得したことなど一度もない。。
と、父に対してはそのような嫌な思いばかりを持っていた。
━─ 話を本題に戻すとします。 ━─━─━─━─
私は大バカモノだ。
父と母は、私たち子供のために、身を削って働き、大きくなるまで育ててくれたのだ。
父が神経質だからって、
不器用だからって、
気に入らない遺伝子を受け継いだからって、
馬が合わないからって、
価値観が合わないからって、、、
そんな事で父を嫌いだと言うなんて、勘違いもはなはだしい話だ。
父に感謝こそすれど、嫌いだなんて毒づくなんて・・・
「お父さん、ごめんなさい。」
本当に、本当に、ごめんなさい・・・。
でもね、私は去年の一件でお父さんの深い愛情を知ったんだよ!
(この話についてはまた今度。)
いつも本当にありがとうね。
今回オーラの泉を見たことで大切な事に気づかせてもらった。
今でこそ父の事は嫌いではないが、
自分の誕生日は親に感謝する日だとは・・・・。
(実際に産んだのはお母さんだけど、お父さんあっての出産だからね。)←ココ重要!!
美輪さんと江原さんの心の深さには、毎度の事ながら恐れ入る。
どうすればあんなに大きな人間になれるものか。
凡人の私には手の届くものでもなさそうだが。
ただ、そこに少しでも近付きたいと思う気持ちがが大事だと思う。うん。
ホントに私はまだまだ子供だ。
まだまだ修行がたりないなぁ~と実感させられた今日この頃でありました。
最後に。
(両親はこのブログを読んでないけど、この場を借りて伝えたい事、言っときます!)
お父さん、お母さん、私をこの世に授けてくれてありがとう。
この歳になっても家族や周りの人に迷惑掛けっぱなしのダメ娘だけど、りっぱな大人になれるように頑張ります!
まだまだ恩返しのできる状況じゃないけれど、これからたくさんの感謝の気持ちを返していきたいから、
あと50年くらいは元気で長生きしてね!!
花嫁姿くらいは見てもらわんと困るからねー!