fki-nok

fki-nok

考えたこと。感じたこと。気になったこと。

Amebaでブログを始めよう!

評論家・西部邁さん死去 多摩川で自殺か 78歳

突然の訃報でびっくりした。
大学生のときに氏の著作を読んで、目から鱗だったのを覚えている。
保守系のイデオロギーが私の心に響いたを覚えている。
 
自殺と聞いたとき、ハッとした。
もしかしてと思って、自分の本棚を見てみた。
彼の著作である、2004年の西部邁著「人生読本」だ。
たしかこれは、私が大学2年のときに買った古い本だが、
人生で岐路に立っているときにいつも思い返して読んでいる本だ。
手にとって、思い出しながらパラパラとめくってみた。
 
その中で、「死」について書かれた項目があった。
やはり私の予想通りのことが書かれてあった。
 
・死の最高形態は簡便死
【抜粋】
死期を人為的に早めるのがそう大して尊厳に値するとは考えられないからです。いっそのこと、これ以上生き長らえると妻をはじめとする家族の者たちに心身両面での苦痛を与えるだけ、と見通した上で選びとられる死を「簡便死」と名づけたくなります。
・・・つまり、仕合せな生のために早めの死を選ぶ、ということがありうるということです。
・・・幸いにも我が国では、自殺はタブーとされておりません。生き長らえることを第一義としてしまうと、周囲に甚だしく迷惑をかけることも厭わない、という意味での虚無感を抱いて自分の人生の最終段階を終えることになってしまいます。そういう生の終わり方を拒否する、それが簡便死なのです。
逆にいうと、ニヒリズムを追い払う最も有効な方法、それが簡便死の選択です。死ぬべきときに死を選ぶのは、生きているかぎりは意味ある生を送るべく努めんがためなのです。
 
このように2004年時点での西部邁氏は考えていた。
自死の真相は分からない。
本当に自死だったかどうかも、まだ明らかにされていないのだから。
だが、もしここに書かれた信念を今も氏が持っていたならば、
その信念を貫いて自死を選んだのは当然かもしれない。
 
私もここに書かれていることはもっともだと思うし、頭で理解もできる。
ただ、頭で理解できても、それを行動に移せる人は少ない。
ましてや、”自分が死ぬ”ということに関しては、ほとんどいないだろう。
それを、西部邁氏は最後まで信念を貫き通して、書いた言葉通りに自死を選んだ。
なんと凄まじい行動力だろうか。
ただ単に、頭で考えたかっこいい事ばかりを言う評論家ではない証左だ。
死は禁忌ながらも・・・、という前提は置くが、
感心せざるをえない。
すごい。
 
私の知る、知の巨人が逝ってしまった。
巨星がまたひとつ落ちてしまった。
彼の考えをもっと知って、自分の血肉としたかった。
残念でならない。
 
ご冥福をお祈りします。
R.I.P