こんにちはっ
そろそろ車のエンジンオイルとオイルフィルターの交換をしようとして、2〜3万くらいいるのかなぁ…とか不安になりながら日産行ったら2千ちょっとで済むと言われて無駄な手数料を取られた191cmです✋

前の点検みたいな時には22000くらい飛んで行ったんだもん…😭
車のこと詳しくないからお金のこととか知らないもん…😭😭
さらば、引き下ろし手数料の108円…💸


さて、本題ですが!
先程あったように日産に向かって運転をしてた時に、実習に行った幼稚園の近くを通ったんですよね。

私立の仏教系の幼稚園で、出身園でもあるので実習はものすごく楽しかったです!
児童養護施設に進路を固めた今でもなお、「うちの幼稚園に来て!」と言われるくらいです😅
(めちゃめちゃ嬉しいけど、何度も丁寧にお断りさせていただいております…)

それともう1つ。
同じく実習で行った、保育園の近くも通りました。

公立の保育園で、結構昔からある小規模のものなんですよね。
しかしそこの実習では、モヤモヤすることが多かったのです…
そこについても、今からお話します。


タイトルにもあるように、ふと思いました。
「子どものため」…ってなんだろう?と。

保育学生の方でもよく聞きますよね。
「子どもの最善の利益」然り、「子どものための必要な支援」などなど…
しかし、それが実際現場に当てはめると、「これが子どものためなの?」と疑問を抱くこともあると思います。

実際、僕は思いました。
保育実習の時に何度も疑問を抱き、自身の保育ができないことがとても苦しく感じました。


保育園の疑問点として、例を挙げましょう。

・折り紙の使用枚数が1人○枚と決められてる。(色折り紙でなく、チラシの再利用折り紙)
・園庭に遊具はあるが、保育者が見ていないなら使ってはいけない。(遊具全般)
・朝はボール遊びをしてはいけない。

これらが僕自身とても目に付いた疑問点です。

1つ目の、チラシを再利用することはとても良いことだと思います。
みんなが使えるように枚数制限…というのも、わからなくもないです。
2つ目の、保育者の目の届かないところでの遊具使用禁止、というのも安全への配慮を感じます。
特に高いところに登るのに、勝手に登って落ちたら大事故ですからね。
3つ目の、朝のボール遊び禁止は、年少さんが朝はよく出てくるから、当たらないように…とのことらしいので、わからなくもなかったです。

納得できる点は各それぞれあります。
しかし、それだけなら良いのですが…問題はそのルールの上での保育者の動きです。

・折り紙の使用枚数を決めながら、全員分用意をしてないので、結局足らなくなる。(チラシの折り紙がなくなったら色折り紙を使ってもいい、とは何故かならない)
・子どもが遊具を使おうとしたとしても、保育者は2人並んで立ってお話をしたりしているだけで、遊具を近くで見守ったりするどころか子どもと遊ぶことがない。
・保育者によって、朝のボール遊びを許している人、許していない人がいる。

これです。
これらが大きな疑問なのです。

使用枚数を制限しているのであれば、せめて全員の制限枚数分は用意しておくべきなのでは?
なくなったのなら、色折り紙を使えばいいのでは?
保育者が見てないと遊具を使ってはならないのであれば、せめて1人は近くで見るべきなのでは?
すごく近くにいなくても、遠くで保育者同士が話しているだけで子どもと遊ぶ保育者がいないというのはどういうことなのか?
保育者それぞれが、子どもにバラバラのことを言うのはどうなのか?
せめてルールは園で統一するべきなのでは?

多くの疑問が生まれました。
何故こうも、ルールに縛られねばならなくて、子どものしたいことをどんどん潰していかねばならないのか…と。
実習生の立場の僕は、何も言うことができず、子どもたちにルールを伝えて行動を制限することしかできませんでした。

すごく悔しかったです。
だから僕は必死に走り回りました。

僕が見ているっていう条件で子どもが遊具で遊ぶことができないか。
遊具をある程度見たら子どもと鬼ごっこをしたり、砂遊びをしたり。
その間も、保育者は僕のことを見ても何も動いたりしない。
その保育者の目は、「あの人は何をやっているんだろう」というような目にも見えました。
(被害妄想かもしれませんが)

しかし、これでも確かに良いところと取れるものはあったと思います。
明らかに、怪我をする子どもが少ないのです。
子どもたちも、「これはダメなことだから」と、お互いを注意し合う力などはついていました。
僕には痛々しく見えましたが…それでも必要な力はついていると、自身に言い聞かせるようにしていました。


ここでタイトルにもあるものです。
「これが子どものため?」

やりたいこと、遊びたいことなどは制限されるが、ダメなことはダメと注意できる力はつくし、ルールを守るということも覚える。
怪我もないから、安心して過ごすことはできる。

安全への配慮や、ルールなどとしては子どものためにはなるかもしれません。
しかし、ここまでの行動制限をすることが子どものためなのか…


そしてもう1つ。
「子どものため」と口々に聞きますが…
その「子どものため」というものは、「保育者の保身」に使われてはいませんか?
そんな疑問を抱いたりもするのです。

子どもが怪我をしなければ、保護者との関わりのトラブルを避けることはできます。
敢えて厳しいルールを突きつけて生活を送らせることで、破ったことを丸々子どもがしたことと投げることができます。

こんな酷い、ずるい考えをする保育士の人がいるの?と疑問を抱くと思います。

います。
自らの立ち位置を壊さないために、子どもの気持ちを無視する保育者は、存在します。

それもタチが悪いのは、その保育者はおそらく自覚がないのです。
子どものため、これが子どものためだから…と自身に言い聞かせてるだけで、都合よく子どもの行動を「作っている」だけなのだと。
(自論です。そう言う保育者がいると感じたと言う自論です。)


幼稚園は楽しかったんですよね。
ものすごくのびのびと自身の保育ができて、子どもたちも存分に遊びを楽しんでました。
保育園ほどルールがなかったんですよねほんとに。
遊具で一緒になって保育者と子どもが遊んでますし、ボール遊びする子も三輪車に乗る子も様々でした。
っていうのも多分、保育者の数と園庭の規模とかも関係してくるんでしょうけどねぇ…

まぁでもその分、保育園に比べて幼稚園の子どもの怪我の率は高かったです。
何度も事務室で救急箱開けてました。w


最後に、また自論ですが…
僕としては、子どもは怪我をするべきだと思うのです。
語弊がありますが、決して傷付くのが見たいとかそう言うのではありません。
人間は、痛みを知って成長するものだと思っているからです。
それは、身体の傷も、心の傷もそうです。
皮肉なことではありますが、実際そうなのではと。


存分に遊び、存分に間違い、存分に痛みを知り、それを学びにして、また改めて存分に遊べ!

もし僕に子どもができたら、こんな風に教えてあげたいと思ってます😌


長々となってしまいました…
見てくださった方、ありがとうございました🙏
更新は少ないですが、またいつか!!✋