僕は 1940 年 7 月 18 日 京都西陣で産声を上げました。 西陣は着物で有名な街です。入り組んだ路地に入ると「バッタン・バッタン」 と機織りの音がしていました。 僕はそんな街の中で生まれたのです。生家は織物とは、おおよそ無縁の “うどん”の製造販売業を営んでいました。小さな商人です。 家族総出で朝早くからうどんを造り、家での販売と他の店へ卸していました。
 
家族は祖父母・両親・叔父さん・子供 6 人。合計 11 人の大家族です。 それと、住込みの店員さん 3-4 名。絶えず 14-5 名が同じ屋根の下で 暮らしていたのです。 朝 3 時に両親は起き、うどんの製造にかかります。5 時 30 分になると子供達の 上 3 人が起こされます。僕は小学生、兄 2 人は中学生の頃の話です。 僕は三男坊主で妹二人と弟がいます。 僕は製緬の手伝い、それが終わると店番をします。兄たちは大きな運搬自転車 の後ろにうどんを積んで配達をするのです。 学校の始業直前まで手伝って、飯を掻きこんで走って学校へ行きます。 これが毎朝の日課です。兄達はよく遅刻をしていたようです。 学校が終わり家に帰ると、また手伝いをします。僕は店番です。
 
夕食は 7 時頃だったでしょうか。母親は家族 11 人と 3-4 人の住み込み店員 合わせて 15 人程の夕食を一人で作るのです。 毎日、買い物に行き、米を研いでお釜で飯を炊き、料理を作るのです。 電気冷蔵庫はありません。買いだめ、作りだめは出来ません。 その日の食材はその日に買い物に行きます。まさしくスーパーウーマンです。
 
洗濯機はありません。洗濯板でゴシゴシ洗います。風呂は薪で沸かします。 針繕い、子育も手抜きはしません。 寒い冬は、子供達 6 人に湯たんぽを布団の中に入れて置いて呉れます。 母親が寝るのは 12 時ごろです。睡眠時間 3 時間。 今思うと、よくそんな事が出来たものだと、今さらながら、おどろきです。
 

お店の休みは年数日。盆と正月と氏神さんの祭りぐらいです。 元旦、目を覚ますと、真新しい下着が枕元に置いてありました。
 

僕の旅への目覚めは 3-4 才の頃です。叔父さんが仕事の合間に 運搬自転車の前に僕を乗せて、蒸気機関車を見に連れて行ってくれました。 街中の小さな踏切を蒸気機関車が「ボー」と汽笛を鳴らして、通り過ぎて行 くのです。いまだに、その光景を覚えています。
 
少年の頃は列車の車窓からの風景を飽きることなく、何時までも眺めている、 そんな少年でした。
 
凍てつくような真冬の夜、遠くから“ボ~”と言う汽笛の音が聞こえる事が あります。少年ではありましたが、その音色に“切ない哀愁”いやそれ以上に “無常”を感じたようです。 社会人になり、それから長く“旅の哀愁”から離れていました。
 
60 才の頃、中国に行ったり来たりしていた時があります。一応は仕事です。 カッコよく言えば、新しい仕事にチャレンジしていたのです。 その頃、合い間を見つけて北はハルピン、南は昆明さらに、シーサンパンナ等 かなりの所を彷徨しました。(中国人よりも中国に詳しいかも知れません)
 
65 才。舌癌を患い、それを機に仕事から完全に離れました。 さらに高校 3 年夏に発症した不整脈が悪化し、ペースメーカーの体内挿入。 子供の頃からのウツ病気質の悪化に苛まれました。 68 才。病もほぼ癒えました。その頃から、少年の頃の夢「ひとり旅」の心が ムクムクと吹き出して来ました。 75 才までは体は動くと勝手に決めつけ年に 1・2 度、国内外を“さ迷よう” と決めたのです。
 
69 才から本格的な「ひとり旅」が始まりました。 2010 年 1 月、マレー半島を中心とする東南アジアへ 2 か月。      5 月、北海道利尻島・礼文島へ 2 週間。      9 月、中国チベットへ 2 週間。 2011 年 1 月、南米 2 か月。 6 月、沖縄・南大東島 2 週間。 2012 年 2 月、インドへ。2 カ月の予定が 2 週間。苦しい旅でした。 9 月、ネパールの山登り、そこから 2 回目の東南アジアの旅。2 か月。 2013 年 9 月、2 回目のネパール、ヒマラヤ山登り。2 週間。 2014 年 1 月、インドネシアへの旅。2 か月間。
 
2014 年 10 月、3 回目のネパール、ヒマラヤ山登り。3 週間。 2015 年 01 月、フイリッピンの旅。10 日間。 03 月、四国 88 ケ所お遍路。2 か月間  07 月、北海道道南の旅。 1 週間。 2016 年 01 月、4 回目のネパール、ヒマラヤ山登り。3 週間。 11 月、5 回目のネパール、ヒマラヤ山登り。3 週間。 
 
旅では多くの苦労、失敗を重ねてきました。 その原因は英語力の未熟です。僕のレベルが低すぎるのです。 少々英会話の勉強もしましたが脳の言語中枢が壊れている様で物になりません。
    2009 年2 月と 6 月の 2 回 合計 4 か月間 オーストラリアの英会話学校    に通いましたが、物には成りませんでした。 仕方なく未熟な英語とボディ-アクションでもって旅を続けています。
 
旅日記。初めは家族へ「無事である」事を知らせる通信でしたが 次第・次第に下手な文章ながら、書く事、人に読んで貰う事が楽しくなり ‟家族への旅日記‟から‟紀行日記‟に変って行きました。
 
76 才。ひとまず旅を終えます。 今、旅日記の整理をしています。読み直し、写真を見ていると、旅の思い出が 甦って来ます。
 
一区切りしたら、再び旅をしたい。またもや「旅への思い」が募っています。 出来うるなら、彷徨える旅人で終えたいと思っています。 

 

「旅行記」
 2009年02月 オーストラリアⅠ 英語勉強 2009年04月 オーストラリアⅡ 英語勉強
 
2010年02月 東南アジアⅠ・ペナン島・マレー半島 2010年02月 東南アジアⅠ・ボルネオ島・バンコク・チェンマイ 2010年06月 北海道・北の大地 2010年09月 チベット
 
2011年01月 南米・ペルー・ボリビア 2011年02月 南米・チリ 2011年03月 南米・アルゼンチン・パラグアイ・ブラジル 2011年06月 沖縄・大東島
 
2012年02月 インド 2012年09月 ネパール(Ⅰ)  2012年10月 東南アジアⅡ・ラオス 2012年10月 東南アジアⅡ・カンボジア・ベトナム
 
2013年09月 ネパール(Ⅱ)
 
2014年01月 インドネシア 2014年10月 ネパール(Ⅲ)
 
2015年01月 フイリッピン 英語を学べるだろうか 2015年02月 四国遍路の旅 2015年07月 北海道・南の大地
 
2016年01月 ネパール(Ⅳ) 2016年11月 ネパール(Ⅴ)  「フーテンの文」最後の旅
 
番外編 1990年  フーテンの文の海潜り 2005年  中国編 
                                                                                                                                      フーテンの文