No 24 年末雑感。そして詩 | ふくとらさんのブログ

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2011年3月11日以来、福島はフクシマになり、低放射線量下での生活を余儀なくされています。それでも、我々はしっかり生きています。子供たちのためにも、核と共存せざるを得ない世界のひとたちの為にも。旅が好きなとらさんの
メッセージをお読みいただければ幸です。

 

 
 


2012年・年末雑感

晦日、妻と二本松市郊外の大型店舗に年越しの買い物に
でかけました。

原発事故や放射能などはどこ吹く風、銀座並みの人の波です。

4~5日前に歩いた郡山市でも、極めて穏やかな日常生活風景が

見られました。

 

そうです、この福島県中通りは低放射線量下にあるのですが、

多くの人は心の底に一抹の不安を抱えてはいるでしょうが

その日その日の暮らしに追われてこの年末を迎えているのです。

(半分は開き直って、あきらめているかもしれません)

 

低線量長期被曝の健康への影響は、公式には認められていないし

そのリスクもほとんど提示されません。

遠くに避難をしたり、心労を重ねながら注意深く生活をしている人達の苦労が杞憂だったかどうかは、時が自ずから答えを出す事でしょう。

ただ、チエルノブイリの26年目を見るなら、晴れ晴れとした気持ちで新たな年を迎えることが出来ないのは私ばかりではないでしょう。

 

 

 

低線量長期被曝 】 

つかみどころのない不思議なもの

色も臭いもなく見えません

音もなく、肌で感じる事もできません

それが放射能、低放射線

 

例えば事故後1年半のここ二本松

空間線量毎時0.7μsv、年間積算線量6.7msv

気にしなければ何もないと同じです

(健康に直ちに影響はありません)

次第になれて「大丈夫だ」と思いはじめています

 

あなたは放射能の存在を認めますか

低線量長期被曝の健康被害を認めますか

四半世紀後のチエルノブイリは

膨大な犠牲の下に何事かを語っています

 

つかみどころのない、この不思議なもの

あなたも体感してみますか

10年間ほど

家族連れで・・・

 

 

 

半減期

僕の人生の最終章を耕すように

僕は100坪の畑を借りて耕していました

大好きな安達太良山と阿武隈の山並みが見晴らせる素敵な場所で

 

ゴマ粒のような小さな種を播くと

黒い土に緑の芽が出てグングン伸びて

やがて花が咲いたり実がなったり

 

僕は時々台所に立って

取立ての野菜を料理して

自画自賛しながら食べます

 

20113月から

僕のそんな最終章は

がらりと変わりました

 

不安の内に種を蒔き、育て、収穫し

不安の内で放射能検査所に持込み

不安の内に口にするのです

 

こんなことがいつまで続くのでしょう

プルトニュームの半減期は24千年

僕の命は頑張ればあと20年かな

 
  
福島で起こった事

福島で起こった事は

チエルノブイリで起こった事

(四半世紀が経ちました)

チエルノブイリで起こっている事は

フクシマで起こりうる事

 

フクシマで起こりうる事の

最悪の事態を想定し

本当によくよく考え、行動すること

それが悲しい思いをする人を少なくする事

 

チエルノブイリや福島で起こった事は

どこの原発でも起こりうる事

そういうことに

私は思いをめぐらしませんでした

あの3.11までは