kのブログ

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元V系バンドマン/音楽他雑多に

これはバンドのギタリストだった私の回想であり、1990年代末期の当時の地方無名V系インディーズバンドの活動、その舞台裏の思い出です。

結成にあたってのメンバーはベースの憂那(Yuuna)と、前身のROSARIOのギタリスト、ドラムのSAIKI。このバンドへの加入の勧誘を受けたのは私だけだったが、ボーカルが不在で決まっていなかった。

そこで私がいたコピーバンドのボーカル雅(Miyabi)を誘い、5人でDe:Lujeのバンド活動が始まった。1997年の秋頃だったと思う。

年が明けて間もない1998年の最初のライブに新潟の D'elsquel の対バン出演だったと記憶してる。私はあまり分かっていなかったけれど、大分格上のバンドだったと思う。

ベースの憂那が D'elsquel のライブに対バンで出演出来る事を喜んでいて、ライブの打上げでも彼は D'elsquel のメンバーに色々と熱心に質問してた記憶がある。

春に、ギターが就職の為に脱退。ギターは私だけになり4人体制になった。そして地元ライブハウスの『UNTITLED』 というイベントに出る様になった。

当時の名古屋V系インディーズレーベル(Soleil)のバンドの地方公演ライブの対バンでの出演で、大体5~6バンド、多い時は7~8バンドだったと思う。

ライブ出演の話などは基本的に全て憂那がしていたので、正直詳しい経緯は私は知らない。
 

今思えば、知らない所で本当に色々やってくれていたんだろうと思う。

その後少しずつ私が原案の曲も採用されてきたりもして、前身バンドの曲からDe:Luje のオリジナル曲だけになっていった。

ライブの収益的には自分達がノルマ分が足りずに払うなんてことは基本無かったと思う。額は少ないけど多少の売上のバックがあって、それはスタジオ代にしていた。

スタジオのペースは週に2回、2時間ずつ。ライブ前は週に3回、3時間とる事もあった。しかし3時間だと集中力が続かずダレてしまい基本は2時間に落ち着いた。

スタジオ練習の際にカセットテープにLINE録音してもらって、私はそれを家での練習用のバッキングトラックにしていた。

バンドの人間関係も最初の2年ほどは良好だった。ボーカルの雅と私で憂那の家によく泊まりで飲みにいったり遊びに行ったりした。

大体は皆バイトしながらバンドやる生活だった。プロになれるとか、食っていけるとか、そんな考えは特に持ってなかった。スマホどころかネットも一般的じゃない時代。情報は本当に少なかった。将来は分からないけど好きな事をやっている。それだけだった。

続きはまた次回。