青木智仁さん人生をかえる出会い | ミュージシャンお悩み解消!業界20年音楽お役立ちブログ

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2006年6月12日 は大好きなベーシストの誕生日でした。

仲良くさせて頂いていた私はお祝いのメッセージをメールしましたが

一向に返信がありません。



先方は、いつも忙しくなければ直ぐに返信をしてくれていましたので

何かのレコーディングかリハーサル中かな?なんて思っていました。



メール送信からほぼ半日が過ぎても未だ返信がきません。

海外にツアーでも言ってるのかな?

なんて思って自分もその日の仕事場のクラブへ出かけて行きました。



仕事場での演奏中もその事がなんだか気になって集中出来ないでいました。



おそらく先方にメールしているであろうミュージシャンにメールをしたところ

『 こっちにも返信ないねん、いつも直ぐ返信くれるのにヘンだね? 』

と仲間も心配しだしていました。



気になりながらもその夜のステージも無事に終わり帰宅します。

『 青木さんが亡くなったらしい・・・ 』

・・・・・・????!!!!。




マジ、時が止まりました。




少し前お会いした時はあんなに元気だったのに・・・

信じたくない、嘘であって欲しい、青木さんそらないよ!






ベースで食っていく、プロになるんだ!

そう決めた19歳当時の私は、青木さんのライブによく通いました。

中でも一番好きだったのが大村憲司トリオでした。



村上ポンタ秀一さんと青木さんとのリズムセクションに

大村憲司さんの渋いけどトンガッたギターと唄には

一流ミュージシャンのこだわりと音楽への一途な思いがビシビシと伝わって来ました。



このバンドももう二度と観ることは出来ないんですね・・・・



プロのミュージシャンって凄い!カッコイイ!自分も!

その思いで私もプロのミュージシャンへの道へと進んで行きました。



思って直ぐにプロのミュージシャンになれるわけはなく

カバン持ち(ボーヤ)からはじめて、

会員制クラブ・ジャズクラブ・キャバレー・ホテル・道端などで演奏していました。



阪神・淡路大震災大震災があり、当時レギュラーで演奏していたキャバレーが半壊

私は一瞬にして無職になりました。



たまの演奏の仕事はありましたがそれではご飯を食べていけません。

日雇いの肉体労働を昼間にして夜は演奏に行くというハードな日々が続きました。



いつも身体はフラフラで遂に車で事故をおこしてしまいます。

ベースの練習時間もない、お金もない、何もない、そんな自分に問いかけました。

『 何がしたいんだオレ? 』




その先の演奏の仕事を一切断り、スケジュールを真っ白にして貯金をし

大好きな音楽のルーツをたどる旅へ出ることにしました。



今から思うと『 自分の棚卸 』が必要な時期だったのかもしれません。



ニューオーリンズ(ブラックミュージック発祥の地)

NY(ジャズの本場、どんな音楽でも凄いクオリティーで聴けます)

リオデジャネイロ(ブラジルミュージック、サンバボサノバが大好きでしたので)



バイトも演奏の仕事も全て捨ててしまい、少しの貯金を持って初の海外旅行へ旅立ちました。



ココでその海外での詳しいお話は省きますが、

抵当な英語でも、お金が無く泊まるところに困っても、すげぇ~楽しい体験が沢山できました。



中でも、海外で飛び入りであるいはジャムセッションで演奏できたこと

仲間が出来て皆が親切にしてくれて泊まらせてくれたりシャワーを借りたりと

一緒に生活して音楽の仕事場にも連れて行ってもらえたこと。



これらの経験と仲間は今でも私の宝物です。これ間違いなくプライスレス!






何もない状態で日本へ帰国。正直、これからどうしよう?

それでもここからが自分の正念場であることはわかっていました。

とそこへ一本の電話が、『 ウチのレギュラーにならんか? 』

マジですか?



何故だか、この時期からレギュラーの仕事が幾つか入りだします。

キャバレー・ブライダル会場・東京の歌手のバックバンド

ビッグバンド・ジャズコンボ・演歌歌手のバックバンド



帰国後、生活が落ち着いてきた頃にミュージシャン仲間に言われました。


『 青木さんのライブ観にいかん? 』


その日は演奏の仕事が入っていたのですが迷わずトラ(代わりの人)をいれ

久しぶりに青木さんのベースを聴きに行くことにしました。

『 何年ぶりやろ?青木さんの生ベース聴くの 』

ワクワクしながら京都ラグへ向かいました。






久しぶりに青木さんのベースプレイにバンドの演奏を楽しんでいた時に

ふと気付きました。

『 数年前とは演奏の聴き方や楽しむポイントが全く違っていたんです 』



青木さんのべースに限って言うと

以前はカッコイイスラップベースばかりを楽しみにしていたように思いますが。

この時には。



●全音符又は2分音符等の
 きっちりしたのび具合に弾いていない時の音符の感じ方。

●青木さんの演奏中の身体の動きとプレイの連動性。

●同じフレーズでも音符ののび具合、切り具合での豊富すぎるバリエーション。

●メンバーにわかりやすいように絶妙なタイミングでの合図だし。

●ソロイスト・メンバーへの極上の気遣い。



数年前ではわからなかった事が目の前のお手本によって

ドンドン答え合わせが出来るという不思議な体験をしました。なんて有り難い。



楽しいライブが終わり大満足でその場の雰囲気を楽しんでいると

友人のミュージシャンに呼ばれました。

『 やぶちゃん、こっち来て!青木さん。 』

マジですか?



やぶの:『 はじめまして、やぶのです。大阪でベースを弾いております。』(超緊張)

友人:『 やぶちゃん、隣座らせてもらったら? 』

青木さん:『 是非どうぞ。 』




嬉しいといいますか、緊張しすぎて生きた心地がしませんでした。

何度もライブハウスへ通った憧れのミュージシャンが話しかけてくれ

隣に座っている。これどうよ?





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