皆さん
こんばんはキラキラ
FIZZYPOPの王子担当










内海大輔です!!!

ついにこの日が来てしまいました。
今日でFIZZYPOPメンバーでありました橋本汰斗君卒業ライブでした。今日は久々ブログを…長いブログになってしまいますが書かせていただきました。良かったら見てください。

汰斗君と出会ったのは2016年頃でした。  
ここで今更なんですけど当時僕はFIZZYとは違うとあるメジャーのダンスボーカルグループに加入することが決定していました。当時そのツアーリハーサルをしてる真っ最中でした。人伝いに僕の連絡先を知って汰斗君が連絡してきてくれて「ダンスボーカルグループ作りたいんだけど一緒にやらない?」というお誘いでした。実は1度目の誘いはダンスボーカルグループに加入が決定していた僕はお断りしたんです。しかしそのグループの活動方針や契約内容に同意できずぎりぎりで僕は辞退をしてタイミングよく汰斗君から連絡が来て
2回目の誘いで僕は様子を見て決めようと思いお話したのが確か最初の出会いでした。
カフェで話を聞いてどうしようかなと悩んでいました。そんな時に銀次に汰斗君が連絡してダンスボーカルやらないか?と誘って当時銀次はダンサーとして活動していたので乗り気ではなかったと思いますが…

また別日に3人で会って
「何となくなんかやってみる?」
って感じで1度3人でライブ出演しました。
当時毎日2〜3時間汰斗君とずーっと電話してたかな。
凄い仲良かったです。僕が出演する舞台に観に来てくれたりもしました。何となく3人で集まってる時に紹介で現れたのが萌生君。初めはなんか「性格合わなそうだなあいつなんか難しくない?」って3人から言われてました。笑い泣き今思うと確かに想像つかないくらい取っつきにくい奴だったよ萌生君。笑

今の真逆だよ。1番プライベート一緒にいるよな。今は1番話しやすい笑い泣き

4人で所属先を探している時木内さん(前の運営さん)に出会い面倒を見てもらうことになり2017年5月5日にFIZZYPOPの結成が決まりました。これまた今更なのですが結成前に僕辞めようとしました。このメンバーで上にイケる?のか。不安で。

そんな時汰斗に横浜で説得されて笑!
(👆これが後々の話に繋がるので覚えててね)

なんとか4人でFIZZYPOP結成に至りました!
そしてその年の12月に初ワンマンライブ
Future is in our hands の開催が決定しました。

この頃あたりから正直、僕は汰斗君とメンバー間に
距離があるなと感じるようになりました。活動の中で不安や現実的に厳しいことや理想とのギャップに苦しんでるように感じました。同じく僕も似たように悩んでました。

今だから言うけどマジで汰斗君暗かったガーン
誰とも話さない日とか結構あったと思う。
その時僕はどう歩み寄ればいいか非常に難しくて話しはしてみるけどマジ元気なくて皆んな会話が続かなかった。そんな時も銀次と萌生君は凄く優しく親身に何度も寄り添っていてこの2人は本当に暖かいしメンバー想いだなと感動しました。えーん

遡ると元々FIZZYのスタートってメインボーカルが僕とかって決まりではなかったと思います。活動して3か月くらいから応援してくれる人も増えて周りの人が徐々に歌割りやフェイクパートやメインボーカルの場所を与えるよになったと思います。だからこそ僕はその時凄く力んでたし「やべーこのグループ上にあげなきゃ」みたいな焦る気持ちが僕は強かった分汰斗君に寄り添ってあげる余裕がなかったなとも思います。今思うともっと歩み寄り方はあったかなと、自分は未熟だったかなと思います。
どこか距離があったので去年の福岡SWISH遠征先のホテルで皆んな集まって、僕は初めて気持ちをぶつけてみた。内容は長くなるから簡単にまとめると「もっと一致団結して頑張らないと僕はこのグループを続けていけない。そして上にいけないと思う」って意思を細かく個人に切り込んで熱く話したみたいな感じです。この時僕の想いみたいなのは伝えたつもりでこの後はすごくグループの雰囲気は良かったしFIZZYPOPが固まったと思えました。

そこから更に時は流れ去年の年末に発表にもあったように不安を抱きながらの活動に限界が来てしまい年末に辞めたいと言う意思を打ち合わせで聞きました。皆んな色々な想いあったと思います。

まずは客観的にグループを作るために
3人を集めた人が辞めるのは
自然ではないと思います。
けど僕はそれを聞いた時はなんでたよ?とかは思わなかった。

「わかる。その気持ち」
「だからこそ仕方ない」
と言う気持ち。2人も一切止めなかったです。
すぐにその意見を尊重しました。今思うと冷たく感じたかな?わからないけど。別に冷たい訳では一切なくてただ「そうだよね」って気持ちでした。
ファンクラブイベントでも話をしたのですが
生意気や傲慢と言われるかも知れませんが
大きな会場、何万人、何千人のお客さんのいる
会場を当たり前としていた人がこのキャパに
(言い方悪いかも知れないけど)キャリア的に都落ちすると周りからのメセ、独特の辛さストレスがのしかかりふとした時に社会に対しての劣等感、
極度の不安や、不甲斐なさ、落ちたな、という感覚に
襲われるんです。これは体感した人にしかわからない
本当に独特の辛さで僕には凄くわかる。
だからこそ僕は簡単に「そんなこと言わず辞めるなよ」とは言えなかったかな。

表向きにではなく内側からみる汰斗君は良い人なのに非常に不器用でその良い所が周りの人に伝わんなかったり誤解されて間違って受けとられる事が多いの人なのかなって思いました。そこは悔しかったです。そして周りは何とも思っていないのに自分が考えすぎて苦しんでしまってるのかなと見ていて思いました。 もう少し心の波を滑らかにできたらもっと沢山の人と分かり合えたのかなと正直今さらながら思います。

様々なことを踏まえて…
僕的には後悔をしたくないということと
自分の中で筋を通したいという気持ちが強くて

その時、今更だとは思ったのですが

僕なりに色々考えて年が明けて卒業が決まってから
実は僕は最後に勇気を出してもう一度汰斗君に個人的に連絡して聞きました。
(これをここに書くか非常に迷いましたけど…)

「俺が辞めようとした時に横浜で説得してくれたからおれも説得一回する権利あるよな?もし!FIZZYを続けたいなと気が変わったら俺に言って。そしたらスタッフからメンバー全て説得するから。」と。

答えはわかっていました。今思えば僕の自己満足だったのかも知れません。けど最後に僕から歩み寄ればなと思いそんなラインを長々と送ってしまいました。今思うと一回納得したのにこんなこと言うのは失礼だったのかもね。その時既に汰斗君は僕より前を向いていたのかも知れない。だったら僕も前を向いてこのグループを止めるわけにはいかないと1月から前を向いて卒業してからもパワーアップしてさらに活躍するのが汰斗くんへの誠意でもあるしファンの皆さんへ見せるべき姿勢だと思います。FIZZYPOPが生まれ変わって大きく飛躍出来るように頑張りたいと思っています。
だからこの先汰斗君にも筋を通して歩んで欲しいと思います。人生の筋とかそう言うお話になってはしまうのですが

歳下でダンサーの道を歩いてた銀次
最後に入った萌生も2人に本当にこのグループ入って良かったと思って欲しいし(もちろん2人は思ってくれてるんだと思うだけど笑)

2人にはFIZZYやんなきゃ良かったって
(思わない奴らなんだけど笑)
1ミリも!そんな事思って欲しくないし

別の道を歩く
汰斗くんに誘われて僕は「参加する」と言った
2人目の人間として責任がこれから僕にはあると思うので僕なりの筋を通し責任を全うできたらと思います。
汰斗君がこれからやりたいことが具体的には
僕にはわからないけど誠意を持って頑張って欲しい

僕の性格上少し古臭い考えかもしれないけど
筋道と責任を全うすることが大切だと思うので
決めたことを決めた期日まで全うしたいと思う。
自分個人の成果や結果のためならもっとやり方は
あると思う。元々自分の夢を叶えるためだけに生きていたのになぜかグループ活動に沢山を犠牲にできた僕は大人になったのかはたまた、遠慮なのか昔とちょっと変わりつつあって今はFIZZYをどうにかしたいなと思ってるから続けてるしここにいると思うんですよ。自分で驚いてます本当に。

その理由の1番はファン、うちゅメイツかな。
そして萌生と銀次かな。
この道だから皆んなに出会えたし
応援してくれたし、じゃあ違うグループだったら?
あなたと出会っていたか?あなたは応援してくれていたか?ぼくを知っていたか?わからないじゃないですか!本物はどこ居ても最後にはそれなりの
結果出すと思うから。ここでもう少し頑張りたいと思います!改めてこの機会に
「感謝」の気持ちでいっぱいです。ありがとう!


FIZZYPOPは汰斗くんの居たことは変わらない事実で居なくなっても何処かFIZZYPOPにも汰斗くんの風味は残るだろうし僕らの歴史には思い出として刻まれてますよね。
どうか応援してくださる皆さんと一緒に
また笑顔で汰斗君と再会できたらと思っています。
2年10カ月お疲れ様でした。そしてこれからのご活躍を心から本当に願っています!
必ずお互い良い人生を、沢山の人に愛されるそして
大切な人やものを守れる人になりましょう。

この先FIZZYPOPを守れるように頑張ります

今日も配信ライブ楽しかったキラキラキラキラキラキラキラキラ

ありがとう!

お疲れ様。




p.s.

って言うか橋本さん
衣装靴のエアフォース俺の履いてますね。
僕の靴ないんですけどね。笑
また返してもらお笑