311から228日目
地震があった当初、なにかやらねばという思いだけが空回りして、
けっきょく大した事もできず、日常に追われて早くも半年以上が経過してしまった。
2011年3月11日から228日、初めて被災地へと足を踏み入れた。
状況はいろいろ聞いたり写真で見たりして頭の中で想像はしていたが、
実際の現場は言葉にできないというか、適した言葉が見つからないというか、
なにも言えなかった。ただ、やはり見なければ解らないことだと体感した。
なにかしら復興に役立つ形で現地に訪れその場に身を置くべきだと、
既に半年以上経っているので状況はかなり変わってきてはいるが、
まだまだまだまだほんとうの意味での復興はこれからだと思うし、
想像の世界に生きるのはほどほどにした方がいいなと感じた。
今回は被災地支援活動のお手伝いをするというコトで
ある団体の支援活動に同行させていただいた。
現地でいろんな人と出会って話を聞いたり、
一緒にご飯を食べたり、
とても貴重な体験をさせて頂いた。
どんな状況でもそこには人の暮らしがある。そして人々は元気である。
だが、そんな風に見えているのも会っているその瞬間だけしか分からないのである。
会話の中で言葉の節々に寂しさを感じる。
言葉にしなくても伝わってくる何かがある。
自分の先入観がそうさせているのか、
分からないがただ、出会ったからには、また会いに行く。
そして笑顔で再開する。
そんなコトを感じた2日間であった。
けっきょく大した事もできず、日常に追われて早くも半年以上が経過してしまった。
2011年3月11日から228日、初めて被災地へと足を踏み入れた。
状況はいろいろ聞いたり写真で見たりして頭の中で想像はしていたが、
実際の現場は言葉にできないというか、適した言葉が見つからないというか、
なにも言えなかった。ただ、やはり見なければ解らないことだと体感した。
なにかしら復興に役立つ形で現地に訪れその場に身を置くべきだと、
既に半年以上経っているので状況はかなり変わってきてはいるが、
まだまだまだまだほんとうの意味での復興はこれからだと思うし、
想像の世界に生きるのはほどほどにした方がいいなと感じた。
今回は被災地支援活動のお手伝いをするというコトで
ある団体の支援活動に同行させていただいた。
現地でいろんな人と出会って話を聞いたり、
一緒にご飯を食べたり、
とても貴重な体験をさせて頂いた。
どんな状況でもそこには人の暮らしがある。そして人々は元気である。
だが、そんな風に見えているのも会っているその瞬間だけしか分からないのである。
会話の中で言葉の節々に寂しさを感じる。
言葉にしなくても伝わってくる何かがある。
自分の先入観がそうさせているのか、
分からないがただ、出会ったからには、また会いに行く。
そして笑顔で再開する。
そんなコトを感じた2日間であった。