こんにちは。芦屋の癒し人、松村知典です。
お悩み相談のモニターセッション。
実は私がやったことがないメニュー。
「それにあえて挑戦してみよう!」
と思って始めたセッション。
自分で言うが、私としては頑張っている。
私はとても利己的で、この手のセッションをしないようにしていた。
それは
ひとの悩みなんてどうでもよくて、
ひとの悩みなんて興味がないし、
そしてひとの悩みにも関心などない
という人間だからだ。
そして、さらにまた、
ひとから受けるドロドロを避け、
ひとから浴びるネガティブエネルギーを避け、
キレイではないエネルギーに関わることを避ける
セッションも人間関係も、そのようにして生きてきた。
そんな人間が
「お悩み相談」
などというものをやっている。
それをキライ、
それを避け、
それに無関心でいる
そうすれば、
他者との交わりはなく、
自分はほとんどダメージを受けず、楽でキレイでいられる。
そういう状態が基本の人間なのだ。
ひとのことをほとんど考えず、自分のことだけ考えている。
好きであるということ。
それはそこにエネルギーをフォーカスしている。
また逆にキライであるということ。
これもまたそこにエネルギーをフォーカスしている。
好きなこと、好きなもの、好きなひと。
それに集中している状態は、そこに強いエネルギーを放射している。
また逆も同じことが言える。
キライなこと、キライなもの、キライなひと。
それらにもエネルギー的に強く焦点を当てている。
無意識的であっても、有意識の場合もそうだ。
まったくフラットな状態であるなら、無関心でいられる。
ひとが自分自身向上を望むとき、
このキライない部分にも、自分自身が目を向ける必要がある。
向上を望まない人はそのままでもよい。
それはそのひとの選択。
その状態で、そのまま居たいならそうすればよい。
私には何も関係はない。
それを口癖のように言う友人がいる。
そう言われると、至極そう思う。
まだまともな自分も自分の中に居る。
いやこれは卑下し過ぎか。
キライなことにこそ、より自分を変革できるキーが埋まっている。
キライなことを強烈に持っている場合、なおさらそれが大きい。
だがほとんど多くのひとは、このことを意識していない。
もちろん私もそうだった。
キライなこと、
キライなもの、
キライなひと、
そんなものには触れずに、関わらずにいよう。
それに関わって、
気持ちよくない時間を過ごす
なんてことは全く無意味で、時間の無駄だ。
なんて考えていた。
この日セッションを受けられた方がはじめに言われた。
「私は両親のために生まれてきたような気がします」
このことばを聞いた時、
「謙虚さ」
を感じた。
(よいかたなんだなー、この方は)
そこには自分がない、と感じた。
モニターセッションでは
「事前に3つの質問を準備しておいてください」
と伝えている。
はじめに言われた質問。
「漠然と生きていて、なにかこう自分がそこに全力で捧げたいものがない」
この方はこじんまりながらご自身で事業をなされていて、
それはすこぶる順調で全然問題がない
とのこと。
おそらく豊かな方で、経済的にも全く困っていなくて、問題ない方なんだろうと私は思った。
そして、個人的にかんじたこと。
なんともありがたいことに、
「コロナの状況でなかったら、芦屋まで行ってみたい」
という奇特なことを仰ってくださった。
関東の方だから、距離は近くないのに。
セッションは相互的なエネルギーの交わりだ。
セラピスト的な立場のひとがどんなに優れていても、
「セッションを受けるひとが心をひらいていない」
という場合、よいセッションはまず不可能だ。
相手がひらいた分だけ、相手は受け取ることが出来るし、
また相手がひらいていないと、その情報にアクセスする事が出来ず、求める答えは得られない。
それを前提にして、私はセッションを始めるとき、
相手の方にエネルギーのコネクトを許可してもらう。
この日もそうだ、同じようにしてつながった。
すると、少しして感じてみて、
「あー、この方は右脳的、直感的な方なんだなー」
と。
とりあえず一応確認のため、お聞きしてみると、そのようだった。
かなりの割合で、そのエネルギーが強いと感じた。
チャネリング的セッションなので、
私が答えるのでなく、
私は仲介者として情報をお伝えする。
正しく機能して入れば、そうだ。
だが人間だから、おそらく100パーセントではないだろう。
でもできるだけ、そうあろうと、そう意識を保つつもりの状態でいる。
漠然として、全力を注げるものがそこにない。
私がはじめに感じたのは、
この方は過去生で
「とても信じていた人に裏切られた」
ということだった。
そのため、ひとを信じることを恐れている。
ひとを全力で信じることに恐怖を持っている。
同じ痛みを受けたくない、その想いを持っている。
全力で自分を注いだ時、
「また裏切られたら、どうしよう」
辛い気持ちを味わいたくないので、それを無意識にでも避ける。
すなわち、自分を全力で捧げることを避けている。
自分でそこから逃げている。
ネガティブ体験で受けたダメージが与える影響は大きい。
私が感じたのが正しいことであるなら、
「生まれてきた時点ですでに、そのエネルギーを引き継いで持ってきている」
ということになる。
生まれたばかりでピカピカ、さらさらの新品状態あるにもかかわらず、
実のところそうではないのだ。
ほとんど全てのひとがそう。
からだは新品でも、中身は過去生のエネルギーを引き継いできている、お古なのだ。
お古という言い方は適切ではない、継続中なのだ。
本当は身体も新品ではなく、肉体的DNAを継承しているので、こちらもまたいくらか自分ではわかっていない制約のある情報がたくさん含まれている。
仕事も順調で人間関係も問題なくスムーズ。
なのに、生きている実感が持てていない。
「漠然と生きている」
このような方のために、私が答えを提示することが出来るのか??
でも問題はない。
質問に答えるのは、私じゃないからだ。
正しく繋がっているなら、
とそう考える。
「漠然として生きない」
ようにするには、
「まず自分を知る」
必要がある。
他の方のために生きる。
それはそれはとてもとても素晴らしいことだ!
全部が全部、本当にそうであれば、まったくもって言うことない。
仙人みたいな人だ。
自分が裏切られてしまうことを避けるために
「他のひとのために生きる」
これは自分の本質から逃げている。
全てがそうではないにしても、
「自分自身が納得できず」
「自分自身が腑に落ちない」
それは、つまり、
「本当は自分で気づいている」
ということ。
自分が偽っていることを知っている。
それで、自分に満足できていない。
はたして、
私が感じたこと、
私がお伝えしたこと、
本当にあっているのかな?
と思ったりする。
このセッションには正解はない。
また同時に不正解もない。
「私の前に居るひとが、私の答えを聞くことを体験する」
それが必要なことであるから、
この状況が存在している。
それが真実なのだ。
しかしながら思う。
まったくもって、見ず知らずの他人から
「あなたは偽って生きている」
などと言われてしまうこと。
受け取ることが出来るなら、
「素直で寛容な方」
だと思う。
私のことをいくらかでも信用していなければ、そうはならないだろう。
人間的な私が、こんなことを言っている。
私レベルの人間が、メッセージをお伝えする。
あー、うーん。
そのような機会に進んで料金を支払ってくださる、モニターの方たち。
勉強できる機会をご提供いただきまして、たいへん感謝しています。
この日もまた、ありがとうございました。
この方もたいへん善良な方。
お優しい方だった。
自分にもう少し優しくなって、
ひとのためでなく、
自分自身にもやさしくして、
自分自身を甘やかして過ごしてほしい。
それだけ多くのことをひとにしてきている。
もう少しご自覚なさるといいのになー
そんなことをあまりしてきていない私がそんなふうに思う。
そう感じたセッションでした。
芦屋の癒し人