ライネライト ~ 光の道を追いかけて -42ページ目

ライネライト ~ 光の道を追いかけて

兵庫県芦屋市でライネライトを主宰して活動しています。どうぞよろしくお願いいたします。

こんにちは。芦屋の癒し人、松村知典です。
 

内なる調和
 
 
自分の中の白色と黒色。
 
自分の中の白色。
 
それは、自分独自の美点。
 
自分の中の黒色。
 
それは、自分自身の汚点。
 
 
 
2極性の世界において、まず重要なこと。
 
それは、『自分自身のバランスを保つ』こと。
 
 
 
自分の中にある、称えられる部分を自分が認めてあげる。
 
逆に、自分の中にある、目をそむけたくなる部分を自分自身で受け入れる。
 
陽と陰があるということ、そのまま認識する。
 
 
 
その結果として、他者にも同様な見方が養える。
 
他者を褒めたり、他者を非難したりせずとも、そのものをありのまま見る。
 
誰にも昼間の光と夜中の闇は存在する。
 
 
 
強さを持つということは、弱さを認めるということ。
 
自分自身の中でも陰陽があり、そのバランスを保てるということを知る。
 
自分を理解して、自分を受け入れ、そして、また他人も受け入れる。
 
そのとき、自分と他人の境界を感じることも減っていく。
 
 
 
難しいことかもしれない。
 
人の意識、思考、意志は執着が積み重なっていると頑迷だ。
 
ただ、自分自身が楽に過ごせる、自分らしく生きたい人には、白黒を眺める視点を持つとよい。
 
習慣はやがて、自然とそのひとの中に溶け込み、その人自身が習慣の行いそのものになっていく。
 
そうして、意識の力、習慣のパワーを受け取ることができるだろう。
 
自分の気持ちや心は軽くなり、日々の中の小さな幸せに気づき、充足できるだろう。
 
 
 

 

 

 

最近毎日飲んでます。クエン酸を摂取すると身体がきれいになりますよ!

 

 
 
 
芦屋の癒し人

 

こんにちは。芦屋の癒し人、松村知典です。
 
 
動物園
 
 
動物園が好きじゃない。
 
動物園の数が多すぎる。
 
動物が気の毒とは思わないのだろうか。
 
 
 
原始の時代。
 
人間が生き延びるためには、他者の存在を知る必要があった。
 
そのために、他の動物を理解することは必然だった。
 
だが現在はそうでない。
 
人間の経済システム、娯楽の対象になっている。
 
 
 
私はよく考える。
 
動物園にいる動物と、自分自身を置き換えて。
 
檻の中に入れられて、見世物にされる。
 
一日中、好気の目に晒される。
 
非常なストレスのはずだ。
 
 
 
ご存知だろうか。
 
動物園のイルカの寿命は、自然に生きるイルカの寿命よりも遥かに短い。
 
動物園では10年もたず、野生では30年以上生きるという事実。
 
目からはエネルギーが出ている。
 
祝福の視線ではないエネルギー。
 
不特定多数のエネルギー。
 
おかしくならない訳がない。
 
 
 
過去に調べてみたことがある。
 
動物園に人間が入れられていた場合、どうなるんだろう?
 
そして見つけた。
 
なんと!日本の現代に近い時代。
 
過去の万国博覧会の催しで、アイヌや沖縄の人たちが展示されているというものを!
 
批判があって、すぐに取りやめになったようだが、驚きだった。
 
1903年大阪万博のことだ。
 
 
 
人間は傲慢だ。
 
傲慢であることすら自覚していない。
 
優性の理由で、他動物を征している。
 
自分が檻の中にいることを想像してみてはどうか。
 
 
 
もしこの理屈が真に正当と考えるなら異常だ。
 
仮に地球において、人間よりも力がある生物が地球を征する。
 
そして、人間を見せものにするとき、同じことが言えるからだ。
 
ほとんど誰もそんなことは考えないだろう。
 
 
 
現代に、動物園なんて必要なのか。
 
そんなに多くの動物園など要るのか。
 
そんなことは絶対ない。
 
このようなことを見聞きすることは非常に少ないのを残念に思っている。
 
経済の力、欲望の力。
 
それらによって、眠ってしまっているものが多い。
 
順序が逆なことに気付いていない。
 
気付いていても、目を向けない意識を持っている。
 
動物園のことを真剣に考えるきっかけを望みたい。
 
 
 
 
 
 

 

 

 

最近毎日飲んでます。クエン酸を摂取すると身体がきれいになりますよ!

 

 
 
 
芦屋の癒し人

 

こんにちは。芦屋の癒し人、松村知典です。
 
 
自己の投影
 
 
フェナカイトの石の意味を詐欺師と呼ぶことがある。
 
これはいかにも人間が自分本意であることを物語っている。
 
自分の間違い勘違いを他者のせいにする。
 
まさしくひとつの人間の本質だと感じる。
 
 
 
 

 

 

 

最近毎日飲んでます。クエン酸を摂取すると身体がきれいになりますよ!

 

 
 
 
芦屋の癒し人

 

こんにちは。芦屋の癒し人、松村知典です。
 
 
断片
断片は、ひとかけら。
 
ひとかけらは全体の一部分。
 
ひとかけらだけを見て、全部を見た気になる。
 
ひとかけらだけを知って、全部を知った気になる。
 
 
 
ひとかけらさえ見ないことがある。
 
ひとかけらさえ知らないことがある。
 
 
 
一部分だけでは理解できないから、もうひとかけらを集める。
 
そしてさらにまたひとつ。
 
たくさんのかけらが集まると、全体に近づく。
 
 
 
それに目を向けない。
 
それを知ろうとしない。
 
 
 
外の情報。
 
いくらたくさんのかけらを集めても、全体にはなりえない。
 
 
 
それでは、どのような姿勢であるとよいのか。
 
内なる情報に目を向ける。
 
眠っている真我に目を向ける。
 
 
 
そとの多くのかけらは雑音に過ぎない。
 
かけらに振り回されて、右往左往しない。
 
あたふたしないこと。
 
 
 
そのためには、内面の奥の自分に目を向ける。
 
不動の自分が、少しでもあることに気付く。
 
その積み重ねによって、自己の断片が築き上げられる。
 
そして、それは断片ではなく、全体を表せるかけらとしても見ることができる。
 
同じ断片でも、外と内では全く異なることを知るのだ。
 
 
 
 

 

 

 

最近毎日飲んでます。クエン酸を摂取すると身体がきれいになりますよ!

 

 
 
 
芦屋の癒し人

 

こんにちは。芦屋の癒し人、松村知典です。
 
 
天然石に気なんて入れない
 
 
私の主観の内容です。
 
天然石に気なんて入れない。
 
石に人間のエネルギーを入れるなんて不必要なこと。
 
邪道だと思っている。
 
 
 
ヒーラーや気功師などが、石に気を入れることをたまに見聞きする。
 
人間が使えるエネルギーなんて純粋に美しいエネルギーなんてない。
 
程度の差はあれ、多かれ少なかれ邪気が混じっている。
 
それで当たり前。
 
 
 
もちろん、お気に入りのひとたちに、その作業をやってもらうことは自由。
 
そのひとたちのファンなら、そのひとのエネルギーも好きだろうから。
 
 
 
だが、私はそんなことはしない。
 
完全に純粋な人間などいない。
 
なので、完全に美しいエネルギーを石に入れることなど不可能。
 
 
 
それなら、私自身が行っている石の活性化とは何か?
 
それはエネルギーや気を入れる類の手法ではない。
 
私は人間のエネルギーの活性化が得意だが、天然石の活性化も得意なのだ。
 
そこには、そのような作業プロセスは存在しない。
 
そんなことしなくても、石本来を輝かせることはできるから。
 
 
 
天然石に気なんて入れない。
 
石の立場にすれば、いい迷惑かもしれない。
 
そんなことするよりも、丹念に何度も浄化を繰り返す方が石は輝ける。
 
そして、石の道を開いてあげることによって、なおもっと輝かせることができる。
 
天然石の仕事を手伝ってくれている、mikikoさんがその体験談を書いてくれました。
 
 
 
 
(おまけ)
他の人の気が入っている石。
 
他の人の念が入っている石。
 
私から見れば骨とう品扱いになる。
 
これらの石を浄化するには、程度の差はあるが、厄介だ。
 
普通に石屋で買ってきたものよりも、余分なものがたくさんついているから。
 
もし、私がこれらの石を活性させようとする場合、ただの石たちよりも手間がかかる。
 
はじめに、超念入りな浄化が必要になる。
 
不必要なエネルギーをすべて取り除き追い出してから、石を輝かせるプロセスに入る。
 
まあ、でもほとんどやったことないので幸いです。
 
 
 

 

 

 

最近毎日飲んでます。クエン酸を摂取すると身体がきれいになりますよ!

 

 
 
 
芦屋の癒し人