プレゼンを技術的に解説する上で、必ず話すことがあります。
かつての自分も含めて、よく、こんな声を聞きます。
「センスがないから、プレゼンができない」
「なんつーか、センスの問題だから、人それぞれでいいじゃない?」
「みんな違って、みんないい(だから、私を責めるな)」
といったたぐいです。私は、これに猛反対します。
プレゼン、特に資料作成を、「センス」で考えない。「技術」としてとらえる。です。
私は、学校の図画工作はほぼ1レベルでしたけれど、美術工芸品を見るのは大好きです。
美しいと評価されるものは、必ず一定法則がある。そして、それをみんなが共有できると考えています。
例えば、黄金比なんか、しらずしらずに美しいと感じます。しってて使うか、どうかの話です。
「Art」を日本語訳すると、ほとんどの人は「芸術」といいます。
でも、「Art」には、「技術」という訳語もあります。
Stringが歌う映画LEONの主題歌「Shape Of My Heart」には、こうあります。
引用開始 ---
I know that the spades are the swords of a soldier
I know that the clubs are weapons of warI know that diamonds mean money for this art
But that's not the shape of my heart
--- 引用終了
これは、ポーカー賭博を生業とする者の心の内を表現しています。
3行目のthisは「ポーカー」、artは、「技術」「腕前」のという訳が多く見受けられます。
映画の中での、LEONの殺しの「技術」の比喩です。
米国の特許の書面では、「Prior Art」なる定型句があり、これは「従来技術」と解します。
芸術とは、高度な(人工的な)高度な技術である。というのが持論です。
芸術的な作品は、必ず高度な技術による成果と考えるからです。つまり、感性とかセンスとかいう測り難いモノの前段階に、再現可能な技術の世界があると信じています。
のっけからセンスで始まってないと思うのです。
そして、高度(過ぎる)な技術は、「もはや・・ アート」となるわけです。
でも、「センス」でしょ?の部分も無いとは言いませんが、
プレゼンを考える際に、まずは、技術論としてとらまえて入りませんか?
子供の頃、漢字ドリル、計算ドリル、習字、ピアノは訓練したのに、絵の書き方や発表態度のはほとんど練習しません。
人を描き方、建物の描き方、影の作り方、色のつくり方、通る声の出し方、ジェスチャーの仕方、アイコんタクトの方法、いまなら、パワーポイントの描き方など教えてもらっても良さそうなものです。
さあ、自由に描きましょう!」と言われ、描いた絵に評価点を付けられていたのですよ。
じゃあ、なんで「C」なの?どうしたら「A」になるの、先に技術(があること)を教えろよ!と言いたくなりませんか?
プレゼンも同じ状況だと思ってます。
こういう経験ないですか?
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上司 : 「プレゼンやって!」
私 : 「え~何を?どのように?」
上司 : 「(なんか、こんな系)わかるだろう? (めんどくせーやつだなっ!)」
私 : 「じゃ、とりあえず作ってみます。」
・・・
私 : 「どうですか?」
上司 : 「なんか、だめ~。」
私 : 「どこですか?具体的に指摘してください」
上司 : 「そんなことは、自分で考えろ。自分で習得しろ。知らんがな。」
私 : 「プレゼンは、難しい。。」
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上の2つの例は、世の中のみなさんが、プレゼンで困っている状況ではないかと思っています。
この上司も、昔同じ目にあっていたにちがいありませんし、今でも自分がダメ出しをされて困っていると思います。
答え(≒ゴール)を誰も教えてくれないからだと思いませんか?
だからこそ、世の中いろんなプレゼンに関する、ハウツー本(ビデオ)が出回っているんだとも言えます。。
でも、技術がなくて、ゴールが設定されなければ、どこまで行っても終わらない無限地獄があるわけで、時間切れをひたすら待つのが現状でしょう。
「センス」で考えない。「技術」として考える。
ただしい、プレゼンの技術を持っておく(あることを認識する)ことが大事だと思うわけです。
「Art」を「技術」と翻訳するようにして、私はプレゼンについて考える糸口を掴んだような気がします。
--- いろいろな記事に続く。